小川 貞一(おがわ ていいち、1882年(明治15年)1月19日 - 1943年(昭和18年)10月27日)は、大正から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・山崎。 鳥取県八橋郡赤崎宿(赤崎村、東伯郡赤崎村、赤碕町を経て現琴浦町赤碕)で山崎元一の長男として生まれ、東伯郡倉吉町(現倉吉市河原町)の小川貞四郎の養子となる。1915年(大正4年)倉吉町会議員に就任したのを皮切りに、東伯郡会議員、鳥取県会議員などを歴任。女子教育の振興に貢献し、鳥取県立倉吉高等女学校(現鳥取県立倉吉西高等学校)、鳥取県女子師範学校、鳥取高等農業学校の設立に尽力した。 また、小川合名会社を設立して酒・醤油醸造業、製糸業を経営した。
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