渡部 芳造(わたなべ よしぞう、1861年5月27日(文久元年4月18日) - 1936年(昭和11年)3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(鳥取県第3区選出、当選2回)。 伯耆国会見郡渡村(現鳥取県境港市渡町)の豪商「灘渡部」の渡部茂八郎の一人息子として生まれる。同村の医師渡辺恭平について漢学を学び、次いで備中高梁の山田方谷の塾、米子教員伝習所等で修行を積んだ。 第1回衆議院議員総選挙で支援当選させた松南宏雅の後を継いで、30歳にして第2回衆議院議員総選挙に出馬当選、連続二期国会議員を務めた。中国鉄道創立発起人となった。 一方、1892年(明治25年)の第2回総選挙で現職の門脇重雄を破って当選した渡部芳造(渡村) は吏党系で、以後2人は選挙の度に争い議席を分け合った。
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