間中 進之(まなか しんし、1852年3月3日〈嘉永5年2月13日〉 - 1890年〈明治23年〉9月5日)は、日本の政治家。衆議院議員。所属は弥生倶楽部 武蔵国葛飾郡惣新田村(のち埼玉県北葛飾郡吉田村、現幸手市)で生まれる。漢学を学んだ。 1874年(明治7年)、22歳で学区取締となる。1879年(明治12年)、北葛飾郡・中葛飾郡選出の埼玉県会議員に選ばれた。議会では、立案委員、組合監事などを務めた。1880年(明治13年)6月、議員を辞職して南埼玉郡長に就任。1890年(明治23年)3月に郡長を辞任した。 同年7月、第1回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から出馬して当選したが、2ヵ月後に死去した。
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