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岩

岩村兼善

いわむら かねよし
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岩村 兼善(いわむら かねよし、1845年12月2日(弘化2年11月4日) - 1919年(大正8年)11月27日)は、幕末の高鍋藩士、明治・大正期の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍主計少将。貴族院勅選議員。幼名・虎雄。 日向国児湯郡高鍋石原(現宮崎県児湯郡高鍋町)で、高鍋藩士・岩村又之進の長男として生まれ、岩村武右衛門の養子となる。藩校明倫堂で学び、さらに江戸の安井息軒に師事した。戊辰戦争時、江戸で新政府の内国事務局参与であった藩主世嗣秋月種樹が、上杉鷹山以来親密な関係の米沢藩の行末を案じ、米沢藩に対して新政府へ恭順を勧める献策が認められ、その使者として岩村と坂田潔が選ばれ、戦乱の中で苦労して米沢に入り米沢藩を帰順に導いた。

出典:ウィキペディア「岩村兼善」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋