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色

色部義太夫

いろべ ぎだゆう
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6代 色部 義太夫(いろべ ぎだゆう、嘉永5年9月9日(1852年10月21日) - 1915年(大正4年)3月14日)は、明治時代の政治家、大地主。貴族院多額納税者議員。幼名・吉郎治、本名・義智(よしとも)。 信濃国埴科郡杭瀬下村(長野県埴科郡埴生町、更埴市を経て現千曲市)で、大地主・豪農の5代色部義太夫義祐(よしすけ)、義江子夫妻の長男として生まれる。山寺常山に師事し漢学を修めた。後に6代義太夫を襲名し、正式名には義太夫を用いた。 1873年(明治6年)5月、長野県の地券取調所出仕となり出納課附属となる。1876年(明治9年)2月、地租鑑定を命ぜられ、同年12月に長野県を辞した。1884年(明治17年)2月の補選で長野県会議員となり、同年10月、埴科郡連合町村会議員となる。

出典:ウィキペディア「色部義太夫」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋