12代 上柳 喜右衛門(うえやなぎ / うえやぎ きうえもん、1849年10月26日(嘉永2年9月11日)- 1923年(大正12年)9月2日)は、日本の地主・実業家・政治家。衆議院議員、長野県下伊那郡飯田町長。旧名・久嗣、幼名・益太郎。 信濃国伊那郡飯田伝馬町(長野県下伊那郡飯田町を経て現飯田市伝馬町)で、酒造業・10代上柳喜右衛門の二男として生まれる。和漢学、算術を修めた。兄・喜一(久休〈ひさしげ〉、11代喜右衛門)の養子となり、その後、12代喜右衛門を襲名した。 1879年(明治12年)飯田町会議員に選出され(8期在任)、1891年(明治24年)下伊那郡会議員(2期在任)、1899年(明治32年)飯田町長(2期在任)にそれぞれ選出された。
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