近藤 勇(こんどう いさみ、天保5年10月9日〈1834年11月9日〉 慶応4年4月25日〈1868年5月17日〉)は、江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)。慶応4年(1868年)からは大久保 剛(おおくぼ たけし)を名乗り、後にさらに大久保 大和(おおくぼ やまと)と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。 天保5年(1834年)、武蔵国多摩郡上石原村(現:東京都調布市野水)に百姓である父・宮川久次郎と母・みよの三男として生まれる。幼名は勝五郎、後に勝太と改めた。久次郎には勝五郎の他にも、長女・リエ(天保3年(1832年)に死去)、長男・音五郎(音次郎、乙五郎、源治郎)、次男・粂次郎(粂蔵、惣兵衛)と、祖父の源次郎がいた。
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