中山 平八郎(なかやま へいはちろう、1845年12月13日(弘化2年11月15日)- 1930年(昭和5年)10月2日)は、明治から昭和初期の農業経営者、政治家。衆議院議員、奈良県会議長。旧姓・飯田、幼名・格太郎。 大和国山辺郡長柄村(奈良県〔第一次〕山辺郡長柄村、堺県山辺郡長柄村、大阪府山辺郡長柄村、奈良県山辺郡長柄村、朝和村を経て現天理市長柄町)で、飯田嘉市の三男として生まれ、1872年(明治5年)同郡田村(山辺村、丹波市町を経て現:天理市)の中山平四郎の養嗣子となる。国学、漢学を修めた。農業を営む。 1881年(明治14年)大阪府会議員に当選。奈良県再設置運動に参加、1887年(明治20年)に奈良県が再設置され奈良県会議員となり、1894年(明治27年)まで在任し、同議長も務めた。
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