原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年12月29日)- 1915年(大正4年)7月30日)は、幕末の僧、明治期の公吏・政治家・銀行家。衆議院議員。幼名・僧云(そううん)。 越中国新川郡塚原村(石川県上新川郡塚原村、富山県上新川郡新保村、富南村を経て現富山市塚原)で、浄土真宗本願寺派教順寺・9世玄正(げんしょう)の長男として生まれた。京都の真宗学林(現龍谷大学)、高岡の野上文山の待賢堂、豊後国日田の咸宜園で学んだ。1868年(明治元年)還俗して原弘三を名乗り、東京湯島の亀谷省軒塾に入る。富山藩改革派林太仲と知り合う。 1870年(明治3年9月)太仲が富山藩大参事に就任すると、原も権小属となり、同年12月19日(同3年閏10月27日)に発せられた「合寺令」に基づき藩内400余カ寺を一宗一寺に合併を強行した(富山藩合寺事件)。
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