宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年〈明治19年〉1月14日 - 1947年〈昭和22年〉9月26日)は、将棋棋士。贈八段。井上義雄八段門下。愛知県愛知郡豐明村出身。日本将棋連盟創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 三男として生まれる。4歳の時に母を亡くし、11歳の時に宮大工の父と死別、この年の秋に奉公に出る。17歳で祖母を亡くし、18歳までに2人の兄と下の弟をいずれも亡くして孤独の身となる。 将棋は8歳の頃に覚えた。苦境の中でも好きな将棋を続け、腰の駒入れ着を手放すことはなかった。 20歳の時に東京を目指すも途中で金銭が尽き、横浜の米穀問屋での奉公となる。
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