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広瀬誠一郎

ひろせ せいいちろう
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広瀬 誠一郎(ひろせ せいいちろう、1838年2月9日(天保9年1月15日) - 1890年(明治23年)3月18日)は、幕末から明治時代前期の政治家、治水家。 下総国相馬郡下高井村(現在の茨城県取手市)の名主の家に生まれる。18歳で名主見習いとなり、父が在職中に病没したため跡を継ぐ。明治に入ると、下高井村組合取締役、戸長、勧農方頭取を経て、戸長頭取に就任し、地券調査に従事した。1879年(明治12年)茨城県会議員となったが、当時の県会では土木費について治水問題を優先すべきとする「河川党」と道路整備を優先すべきとする「山岳党」に分かれ意見が鋭く対立していた。こうした中で1881年(明治14年)県令の人見寧に利根運河開削を建議し、翌年北相馬郡長を発令された。

出典:ウィキペディア「広瀬誠一郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋