柳生 宗冬(やぎゅう むねふゆ)は、江戸時代前期の武士、新陰流の剣豪。幼名は又十郎、諱は宗冬。通称は内膳正、俊矩。 大和国柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南を務めた剣豪・柳生宗矩の子。家督を継承した兄三厳が急死したため、その跡を継ぎ、将軍家兵法指南役に任じられて徳川家綱や徳川綱吉らに新陰流を伝授した。これらの功により加増を重ね、父の死後旗本となっていた柳生家を大名に復帰させた。 慶長18年(1613年) 大和国柳生庄(現在の奈良市柳生町)にて、領主・柳生宗矩の三男として誕生する。 寛永5年(1628年)、14歳の時に徳川3代将軍・徳川家光の小姓となり、やがて書院番に任じられて300石を拝領する。
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