粟飯原 常世(あいはら つねよ、嘉永3年8月〈1850年〉 - 1919年〈大正8年〉9月24日)は、幕末の長州藩士、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲二等功三級。 長門国阿武郡椿郷西分村(現山口県萩市)で、長州藩士・粟飯原衛門兵衛の長男として生まれた。四境戦争、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争での奥州各地の戦闘に参戦した。 1872年(明治5年)2月、陸軍少尉に任官。西南戦争では別働狙撃大隊(長:河野通好少佐)の第1中隊長を務め、佐賀県を転戦のち熊本城下守備につく。1891年(明治24年)4月に陸軍歩兵中佐・歩兵第19連隊長に補任され、第3師団・桂太郎中将隷下で日清戦争に出征し、海城攻防戦にて奮戦した。
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