斎藤 仁太郎(齋藤、さいとう じんたろう / にたろう、1865年4月12日(慶応元年3月17日)- 1933年(昭和8年)4月22日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、宮城県桃生郡赤井村長。 陸奥国桃生郡赤井村(宮城県桃生郡深谷村、赤井村、矢本町を経て現東松島市赤井)で、農業・斎藤恒治の長男として生まれた。漢籍を修めた。農業を営む。1881年(明治14年)赤井小学校教員となる。 1884年(明治17年)広淵村外4ヵ村戸長役場筆生に就任。深谷村会議員、桃生郡会議員、同参事会員を務めた。日清戦争、日露戦争に従軍。1907年(明治40年)赤井村収入役となり、助役を経て、1908年(明治41年)同村長に就任。
出典:ウィキペディア「斎藤仁太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
