尾高 惇忠(おだか あつただ、文政13年7月27日〈1830年9月13日〉 - 明治34年〈1901年〉1月2日)は、日本の豪農、志士、実業家。富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人などを務めた。諱ははじめ惇孝(あつたか)、後に惇忠と改めた。惇忠の読みは「じゅんちゅう」とも。通称は新五郎、号は藍香(らんこう)。 岡部藩領の武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)に名主の尾高勝五郎保孝の子として生まれた。惇忠は幼少時から学問に秀で、自宅に私塾の尾高塾を開き、17歳から幕末の頃まで近郷の子弟たちを集めて漢籍などの学問を教えた。惇忠に教えを受けた一人が渋沢栄一である。惇忠の母・やへが栄一の父・渋沢市郎右衛門の姉であり、惇忠と栄一は従兄弟であった。
出典:ウィキペディア「尾高惇忠 (実業家)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
