柏木 幸助(かしわぎ こうすけ、1857年1月9日(安政3年12月14日) - 1923年(大正12年)2月7日)は、山口県防府市三田尻出身の発明家。日本で初めて安全マッチを発明し、国産唯一の体温計やジアスターゼの製造にも成功した。 1856年(安政3年)、薬舗柏木治助の次男として生まれる。1872年(明治5年)、16歳の時、防府市牟礼の桂権吾に化学を学び始める(1874年(明治7年)まで)。1875年(明治8年)、発火薬に赤燐を用いたマッチの製造に成功。1877年には安全マッチの製造に成功し、生産を始める。1878年(明治11年)6月、華浦医学校で理化学を学ぶ。このあと、三田尻港の水深が浅く、大型汽船が寄港できないことから、その浚渫を計画するも、浚渫船を入手できず、周陽丸を建造して広島、下関に運行させたり、大阪道修町の薬種商白井治兵衛に体温計製造を相談、宇部のガラス職人惣兵衛とガラス瓶の製造を試みたりする。
出典:ウィキペディア「柏木幸助」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
