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田

田中清治

たなか せいじ
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田中 清治(たなか せいじ、1892年 - 1967年)は山形県出身の冶金学者であり工学博士。東京帝国大学第一工学部教授を務めた。 田中清次郎の三男として、1892年(明治25年)12月5日に山形県東村山郡金井村で生まれる。仙台の第二高等学校を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学冶金科を卒業。田中鉱山へ入社すると岩手県の釜石製鉄所に配属され、製鋼課長・藤田俊三の下で働いた。 初代所長の横山久太郎が体調を崩し、中大路氏道が二代所長となった1919年(大正8年)。11月に足尾銅山同盟会の一派が釜石に乗り込み、アジ演説で労働者を焚き付けた結果、創業以来未曾有の労働争議が勃発。警官隊が出動する騒ぎとなり、洋行中の藤田に代わって課長代理を務めていた清治は身の危険を感じている。

出典:ウィキペディア「田中清治」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋