朝汐 太郎(あさしお たろう、元治元年11月28日〈1864年12月26日〉- 大正9年〈1920年〉8月26日)は、高砂部屋(入門時は押尾川部屋)に所属していた大相撲力士。伊予国宇和郡(現在の愛媛県八幡浜市)出身。本名は増原 太郎吉(ますはら たろきち)、出生名は杉本 太郎吉(すぎもと たろきち)。最高位は大関(現役中に1日限りの横綱免許)。身長179cm、体重102kg。得意手は左四つ、上手投げ、寄り。 元治元年(1864年)、増原勘十郎の長男として伊予国宇和郡(現在の愛媛県八幡浜市)に生まれる。子供の頃から力自慢で、7歳の頃には一斗樽(約18リットル)を楽に持ち上げることが出来たといわれる。
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