仁木 竹吉(にき たけよし、天保5年3月17日(1834年4月25日) - 大正4年(1915年)8月31日)は、日本の北海道開拓者。特に現在の北海道余市郡仁木町の開拓に従事し、その町名の由来となった。 天保5年(1834年)阿波国麻植郡児島村(徳島藩。現・徳島県吉野川市)にて、大島源左衛門の七男として生まれる。天保11年(1840年)より剣術を阿波郡香美村の佐藤丈左衛門に、漢学を麻植郡宮島村の青山賢之進と香美村の佐藤健吉に習った。大島家は徳島藩士・赤川三郎左衛門の配下であった。嘉永6年(1853年)美馬郡拝原村(現・徳島県美馬市)仁木伊兵衛の養子となる。仁木家は徳島藩筆頭家老・稲田氏の配下である郷士で、藩の特産である藍製造を家業としていた。
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