牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7日 - 2010年〈平成22年〉5月29日)は、日本の政治活動家。通称は爆弾屋。アナーキスト、新左翼、民族派の活動家 三菱重工業社長として采配を振り、のちに牧田天皇と呼ばれた牧田與一郎の6人きょうだいの末子(4男)として静岡市に生まれる。1950年、東京都新宿区諏訪町(現在の高田馬場)の社宅に移り住み、1959年まで住み続ける。少年時代は昆虫好きの理科少年だった。のち家族と共に世田谷区下馬を経て港区高輪へ転居。 1959年4月、新宿区立戸塚第二小学校を経て、三菱財閥系列の成蹊中学校に入学。テニス部と生物部を経て登山部に入部。成蹊高等学校在学時代は学校に対して反抗的な態度を続けたため、同校卒業生中ただ一人成蹊大学への推薦を拒否され、1965年に一般入試で同大学政治経済学部と文学部に合格し、文学部文化学科に進む。
出典:ウィキペディア「牧田吉明」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
