猪俣 津南雄(いのまた つなお、明治22年(1889年)4月23日 - 昭和17年(1942年)1月19日) 戦間期日本の社会主義者。日本共産党創設(1922年)に参加。その後、『労農』同人に加わり、(第二次)共産党との論争で中心的役割を果たすが29年9月に脱退し、独自の立場から戦略論・組織論を展開。日本資本主義論争には参加せず。人民戦線事件(1937年)で逮捕されるまで政治・経済の現状分析や農村踏査に心血を注いだ。 ・1889年4月、新潟市の芸者・広木チヨの子として生まれる。父は長岡で油問屋を営む猪俣津平。小学校入学と同時に長岡の猪俣家に引き取られ、しばらくして猪俣姓を名乗る。 ・1902年に入学した県立長岡中学校は俳句が盛んなところで、猪俣も「鹿語」(ろくご)の俳号で句作に熱中する。
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