小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
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