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小栗忠七

おぐり ちゅうしち
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小栗 忠七(おぐり ちゅうしち、1891年11月 - 1964年)は、日本の都市計画家。内務省の建設官僚として、「都市計画法規類集」及び「土地区画整理の歴史と法制」の編さん出版を始め都市計画の指導、発展に多大な功績を残す。また内地及び日本統治下の台湾などで制度の立案・運用に関わった。 「疎開」という日本語の生みの親の一人でもある。 静岡市に生まれる。1911年3月、旧制静岡県立静岡中学校を卒業後、静岡県に奉職したが、後に東京府を経て、1927年に内務省大臣官房都市計画課に勤務する。 1937年に内務省を退官して、名古屋市に奉職し駅前土地区画整理事業を事務所長として遂行した。1939年からは満州国交通部都邑計画司事務官として法規改正を担当し、同国において交通部事案に大きな業績を残した。

出典:ウィキペディア「小栗忠七」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋