浅原 直人(あさはら なおと、1916年4月8日 - 1987年2月1日)は、愛知県出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 愛知一中時代は陸上選手として活躍。卒業後はアマチュア野球の大連実業団でプレーし、愛知県警を経て1936年に名古屋軍へ入団。秋季リーグ途中に大東京軍へ移籍し、翌年は4番打者として活躍した。途中、満州化学工業へ移籍するが、のち朝日軍(大東京から名称変更)でプロに復帰。1943年途中で応召された。戦後の1946年7月に外地から引き上げ社会人野球の強豪チーム熊谷組で選手兼任監督に就任し、2年連続で都市対抗野球にも出場した。1952年に35歳という年齢で東急フライヤーズでプロに復帰し、5番打者として活躍。
出典:ウィキペディア「浅原直人」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
