徳永 喜久夫(とくなが きくお、1931年9月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。投法はサイドスロー。スライダー、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。 愛知県立瑞陵高等学校では、エースとして高校同期の一柳忠尚とバッテリーを組み、甲子園に3回出場した。 2年生時の1949年には、愛知大会準決勝で金田正一を擁する享栄商業高校を4-0と完封で抑えて勝ち上がり、夏の甲子園大会に出場した。しかし、1回戦で兵庫県立芦屋高に大敗した。 翌1950年春の選抜も1回戦で大阪府立北野高に惜敗。夏の愛知大会では優勝を果たし、これが愛知県の公立校としては唯一の連覇となっている。しかし、夏の甲子園大会は1回戦で福岡県立小倉高に敗退し、甲子園での勝利はならなかった。
出典:ウィキペディア「徳永喜久夫」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
