古田 昴生(ふるた こうせい、1901年9月15日 - 1986年7月2日)は日本の大正から昭和前期に活動した新聞記者、映画評論家、脚本家。 1901年(明治34年)、名古屋市東区で古田徳次郎・きん夫妻の長男として出生。1919年(大正8年)に旧制愛知中学校を卒業し、新愛知新聞社へ入社する。新愛知では社会部記者から出版部主任となり、1921年(大正10年)には松永亮逸と共同で児童雑誌『少年少女宝の玉』を創刊、学芸部長に至り映画評論の分野において「中京地区の草分け的存在」と評されていた。 新愛知新聞社が地元で競合していた名古屋新聞社との新聞統制を受けた合併により中部日本新聞社となる前に退社、極東キネマで映画の脚本の執筆を手掛けた。
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