児玉 一造(こだま いちぞう、明治14年(1881年)3月20日 - 昭和5年(1930年)1月30日)は、明治から大正期の実業家。東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)を創設。また、輸出綿糸組合を結成するなど綿業界の再建に尽力し、豊田紡織や三井物産の取締役・大阪市教化委員・資源審議会委員などを歴任した。 豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長や児玉桂三東京大学名誉教授は実弟。妻の米は園田孝吉男爵の娘。 児玉一造は、明治14年(1881年)3月20日に滋賀県犬上郡彦根町大字芹橋(現彦根市芹橋)で児玉貞次郎と美衛の子として誕生した。父貞治郎は美濃国養老郡の高木利右衛門の子で、長浜(後の神照村)の児玉助三郎の養子となり、江波伴三の娘美衛と結婚した後、彦根藩足軽の株を買い、明治維新後は家屋の壊し屋を家業としていた。
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