南 喜市郎(みなみ きいちろう、明治29年(1896年)10月23日 - 昭和46年(1971年)2月20日)は、ホタルの研究者。家業の醸造業を営む傍ら守山ゲンジボタル生態調査を行い、人工飼育に取り組み羽化に成功した。ほたる保護思想の普及啓発と増殖に努めた。 南喜市郎は、明治29年(1896年)10月23日滋賀県野洲郡守山町(現滋賀県守山市)に生まれ、本名は喜右衛門と称した。旧滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)を卒業後、家業の醤油醸造業を手伝い町の青年団長を務めていた大正8年(1919年)、本山彦一(元大阪毎日新聞社社長)が守山を訪れ、南にゲンジボタルの研究を勧めた。 その後、岐阜の昆虫学者名和靖の依頼から守山ゲンジボタル生態調査の案内役をし調査研究に協力した。
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