坂根 田鶴子(さかね たづこ、1904年12月7日 - 1975年9月2日)は、日本の映画監督、映画製作者。溝口健二の下でキャリアを積み、1936年に『初姿』を監督して、日本最初の女性映画監督となった。 1904年(明治37年)12月7日、京都市上京区で縮緬織りの織元だった父・坂根清一と母・志げの間に6人兄弟の長女として生まれる。母の生家佐久間家は丹後の旧家であったが、跡取りがいなかったため、田鶴子は2歳で佐久間家の当主として登録され、佐久間田鶴子となる。しかし、田鶴子は生涯父方の苗字「坂根」を使い続けた。 夫妻の6人の子供たちのうち、長生きしたのは長男の鋭郎と長女の田鶴子の2人だけであった。父が発明で財をなしたため家は裕福で、田鶴子は今出川幼稚園から中立売小学校、京都府立京都第一高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)へ進んだ。
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