周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 1981年8月8日)は、日本の政治家・官僚。農林大臣や自治大臣などを歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 山口県大津郡三隅村(現・長門市)生まれ。少年時代より京都で過ごし、京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。農商務省に入省する。後に農林大臣を務めた井野碩哉の懐刀として、農林省米穀局長、農務局長、総務局長の要職を務める。その後企画院第四部長、商工省物価局長官を経て、1942年、帝国油糧統制会社初代社長となる。 戦後の1946年、第1次吉田内閣にて内閣副書記官長に就任し、書記官長林譲治のお株を奪う八面六臂の活躍ぶりを見せ、吉田茂に引き立てられた。
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