範多 龍太郎(はんた りゅうたろう、1871年2月20日(明治4年1月2日) - 1936年(昭和11年)11月10日)は、日本の商人(範多商会、雑貨貿易商)、実業家、造船技術者。日本の造船の近代化を開拓した。 1871年、イギリス人実業家E・H・ハンターと平野愛子の間に生まれ、平野龍太郎として日本の戸籍に入る。龍太郎は神戸市で育ち、神戸一中、神戸商業講習所を卒業後、ドイツのオーデルキルヘン中学に留学し、さらにスコットランドのグラスゴー大学で造船工学と土木工学を修めて、1893年(明治26年)に帰国した。その直後、係累の途絶えていた範多才助なる戸籍を紹介され、同年12月31日付けで範多姓を継承して、範多龍太郎と改名した。
出典:ウィキペディア「範多龍太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
