諏訪恭一(すわ やすかず、1942年 - )は、日本の企業家… 諏訪恭一(すわ やすかず、1942年 - )は、日本の企業家、宝石商人、ジュエリー講師、諏訪貿易株式会社3代目兼会長。『宝石』シリーズを手がけている。 1942年生まれ、慶應義塾大学経済学部卒業後、1965年米国宝石学会(GIA)宝石鑑別士(G.G.)資格を取得(日本人第一号取得者)。1966年諏訪商店入店、1969年同専務取締役、1981年同取締役社長、2007年同会長。 社外では、1983年国際貴金属宝飾品連盟(CIBJO)色石委員会副委員長(- 1985年)、1985年国際色石協会(ICA)執行委員(- 1989年)、1991年NHK学園ジュエリー講座講師(- 2001年)、1997年日本ジュエリー協会理事(- 1997年)などを歴任した。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月… 八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月30日 - 1963年)は、日本の商人(米穀商)、実業家。西宮酒精社長。 兵庫県西宮市出身。八馬永蔵の五男。三代八馬兼介、八馬安二良の弟。八馬眞治の兄。 1928年、同志社専門高商部卒業。1929年、分家した。米穀商を営んだ。兵庫県武庫郡良元村小林字ハクサリ(現宝塚市)で果樹園を経営した。宝梅園土地建物代表社員、多聞土地代表社員を務めた。 1949年、新朝日自動車取締役、西宮酒精社長に就任した。1950年、宝梅園農場社長を兼任した。八馬汽船取締役、同監査役を務めた。 趣味は、乗馬・読書・謡曲・運動。宗教は真宗。住所は兵庫県宝塚市小林字ハクサリ。
相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 … 相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 - 1986年 <昭和61年> 5月18日)は、日本の商人(醤油商)、醸造家、政治家(第27代横浜市会議長)。相川醤油社長。金沢区保護司会長。位階は従五位。 神奈川県横浜市金沢区出身。相川家は江戸時代から室崎屋相川文五郎家の分家として商売をしており、幕末から昭和にかけては、カギ北の商標で醤油や味噌を製造、販売した。 横須賀中学校出身。1981年5月から1983年4月まで横浜市会議長を務めた。住所は六浦。1986年死去。死没日付をもって従五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
辻 兵太郎(つじ ひょうたろう、1899年(明治32年)4月… 辻 兵太郎(つじ ひょうたろう、1899年(明治32年)4月18日 - 1954年(昭和29年)6月24日)は、日本の政治家(秋田市会議員、同副議長)、商人(呉服商、秋田県呉服太物商組合長)、実業家。秋田土地社長。辻代表。秋田商工会議所副会頭。 秋田県・辻兵吉の長男。辻吟次郎の甥。1917年、秋田中学卒業。1919年、志願兵として入営し、陸軍中尉に進級した。呉服商を営み傍ら会社の重役であった。秋田市会議員に推され、1942年7月13日、副議長(第18代)に就任し、1945年3月10日、退任した。 趣味は囲碁、運動。宗教は浄土真宗。秋田県在籍。住所は秋田市大町、東京市麹町区永田町。
茂木 七郎治(もぎ しちろうじ、前名・高治郎、1898年〈明… 茂木 七郎治(もぎ しちろうじ、前名・高治郎、1898年〈明治31年〉9月12日 - 1993年〈平成5年〉1月1日)は、日本の商人(肥料商)、政治家、実業家。紫興業社長。野田市議会議長。茂木七郎治家4代目当主。 千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)出身。3代茂木七郎治の長男。明治中学卒業。野田醤油(現・キッコーマン)に入社し、後総武鉄道に転社した。明治大学に学んだ。1918年、家督を相続し、高治郎を改め襲名した。 総武通運社長、野田運輸、花畑乗合自動車各代表、野田自動車運輸代表、総武鉄道常務取締役。東武鉄道、千秋社、柏屋商事各監査役、野田商誘銀行支配人をつとめる。 趣味は読書、旅行、ゴルフ、囲碁。
田川 誠治(たがわ せいじ、1892年(明治25年)8月5日… 田川 誠治(たがわ せいじ、1892年(明治25年)8月5日 - 1965年 <昭和40年> 9月2日)は、日本の商人(米穀並びに酒類商)、実業家、政治家。位階は従六位。 神奈川県三浦郡田浦町(現横須賀市)出身。田川平三郎の二男。1916年3月、慶應義塾大学部理財科卒業。米穀並びに酒類商を営む。神奈川県会議員に当選し、2期つとめた。 横須賀酒類商業組合理事長、横須賀タクシー会長、湘南商事、神奈川県容器各社長、田浦土地建物、神奈川無尽、神奈川県油工業、神奈川県食糧工業各取締役、神奈川県食糧営団専務理事などをつとめた。1965年死去。死没日付をもって従六位に叙された。 自由主義者で、福沢諭吉の「独立自尊」を信奉しており、子供には干渉しなかった。
中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) /… 中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) / 1893年(明治26年) - 1978年(昭和53年))は、日本の農民、商人(雑貨商兼家畜商)、政治家。北海道広尾町議会議員を務めた。通称、“拙者(せっしゃ)文蔵”。 政治家中川一郎・中川義雄の父、中川昭一の祖父。 富山県西砺波郡福光町(現:南砺市福光)出身。14歳の時に北海道に渡り、道東の僻地を選んで開拓に従事した。 19歳で父を失った。以来、文蔵はひとりで一家眷族を養うことになった。ある時は田畑の作物が全滅し、また牛馬が人手に渡ったことも何度かあった。 長男の一郎が小学校2年生の時、文蔵は開拓地を離れて町中に住み、雑貨商兼家畜商に転じた。
安住 悦太郎(あずみ えつたろう、1891年〈明治24年〉5… 安住 悦太郎(あずみ えつたろう、1891年〈明治24年〉5月20日 - 没年不明)は、日本の商人(薬種貿易商)、実業家。族籍は大阪府平民。 鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身。安住瀧蔵の二男。叔父・安住伊三郎の養子となる。1913年、第三高等学校卒業。1916年、京都帝国大学法科大学卒業。 薬種貿易商で、殺虫剤製造業及び輸出業を営む。安住大薬房社長・同常務取締役・同専務取締役、安住産業会長・同取締役、タイ国名誉副領事などをつとめる。 宗教は真言宗。趣味は釣魚、長唄。大阪市在籍で、住所は大阪府豊能郡箕面半町(現・箕面市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
15代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、前名・英之助、18… 15代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、前名・英之助、1889年〈明治22年〉9月 - 1942年〈昭和17年〉)は、日本の商人(天産物直輸出商)、実業家。大日本除虫菊社長を務めた。大日本除虫菊の創業者・上山英一郎の長男。 和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市山田原)出身。東京高等商業学校に学び、天産物直輸出商を営んだ。ユーゴスラビア国に紀州産蜜柑苗を移植、寄贈した。1930年、大日本除虫粉社長に就任した。1939年、日本除虫菊輸出組合理事長に就任した。 大阪商工会議所貿易部長、ユーゴスラビア国日本駐箚名誉領事、大日本除虫菊、朝鮮除虫菊、箕島倉庫運送、関西金鳥販売、東京金鳥販売各社長、南海水力電気、松下電工、信太山ゴルフ各取締役、岸和田煉瓦綿業、日本レイヨン、白浜温泉土地倶楽部、南海鉄道、満州製紙、大阪ゴルフ、上山殖産各監査役などを務めた。
岸野 菊三郎(きしの きくさぶろう、1889年〈明治22年〉… 岸野 菊三郎(きしの きくさぶろう、1889年〈明治22年〉 - 没年不明)は、日本の商人(高知堂、文房具商)。信用組合巣鴨町金庫理事。 東京・池袋出身。地主・西巣鴨町会議員の岸野伊太郎の弟。区内の信望が厚く、宮本親和会副会長、巣鴨警察署協和会理事、豊島区防護団巣鴨第三分団常務理事等に挙げられる。1936年7月に宮本親和会会長、同会衛生組合長に推され、1937年2月に信用組合巣鴨町金庫理事に選ばれる。 大塚終点未発展の時代にあって常に意を付近発展に用い、よく後住者を指導して同所今日の発展に隠れた功績を残す。住所は東京市豊島区巣鴨7丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
上原 政兵衛(うえはら まさべえ、旧姓・松島、1888年〈明… 上原 政兵衛(うえはら まさべえ、旧姓・松島、1888年〈明治21年〉4月25日 - 没年不明)は、日本の商人(原皮毛皮貿易商)、実業家。 福島県西白河郡白河町(現白河市)生まれ。製革業・肥料毛皮貿易商などを営む松島瀧右衛門の四男。1910年、先代上原ゆきの入夫となる。家督を相続する。原皮毛皮貿易商を営む。 1938年、紺綬褒章を賜る。上原商事会長、日本毛皮革、富士製革工業、天津大興物産各社長、日本原皮常務を歴任し、1946年に大興物産社長に就任する。 趣味は骨董。宗教は真宗。墓所は同宗の浅草今戸の本龍寺。住所は東京市本郷区向ヶ丘弥生町、文京区駒込林町、浅草区今戸町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
後藤 市右衛門(ごとう いちえもん、前名・仙三、1888年〈… 後藤 市右衛門(ごとう いちえもん、前名・仙三、1888年〈明治21年〉2月8日 - 1956年〈昭和31年〉)は日本の商人(質商)、地主・家主、実業家、鳥取県多額納税者。 鳥取県米子市内町出身。実業家・後藤快五郎の長男。前名・仙三を改め、1927年、家督を相続する。質商を営む。山陰土地監査役、昭和保全、雲陽実業銀行各取締役などをつとめる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。趣味は書画、骨董、俳句、和歌。宗教は真宗。住所は米子市内町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
相川 宗次郎(あいかわ そうじろう、前名・幾太郎、1888年… 相川 宗次郎(あいかわ そうじろう、前名・幾太郎、1888年〈明治21年〉1月25日 - 1978年〈昭和53年〉11月28日)は、日本の商人(米穀商)、会社役員、政治家。埼玉県浦和市長〈第3代〉、浦和市会議長。 埼玉県・先代宗次郎の長男。1914年、家督を相続し、前名幾太郎を改め襲名する。米穀商を営む。 1921年、浦和町会議員に当選する。1925年、浦和町助役。浦和市会議員時代には市会議長に選ばれた。1938年9月に浦和市長に就任し、1942年9月に退任した。 戦争中は大政翼賛会の支部長だったため、戦後に公職追放となった。 また浦和商工会長、相川精麦取締役、浦和商業銀行監査役、埼玉県食糧営団理事長、埼玉県中小企業団体中央会会長、全国食糧事業協組連理事などをつとめる。
6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年… 6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年〈明治20年〉8月31日 - 1954年〈昭和29年〉10月5日)は、日本の商人(油屋、肥料商)、政治家(貴族院議員)、栃木県多額納税者、実業家、銀行家。下野貯蓄銀行頭取。前名・順一。勲四等。 栃木県宇都宮市本郷町出身。上野松次郎の長男。1936年、父・松次郎の隠居により家督を相続し、翌1937年に6代目松次郎を襲名し、家業の肥料商を継承した。 また銀行、会社の重役であった。宇都宮商工会議所会頭、栃木県農工銀行頭取、下野貯蓄銀行頭取。また1925年(大正14年)に鹿沼銀行、宇都宮銀行、下野実業銀行、喜連川銀行、烏山産業銀行、今市銀行が合同して発足した下野中央銀行の頭取となった。
倉田 信太郎(くらた のぶたろう、1886年〈明治19年〉3… 倉田 信太郎(くらた のぶたろう、1886年〈明治19年〉3月3日 - 1938年〈昭和13年〉3月27日)は、日本の商人(履物商)、実業家。広島瓦斯電軌社長。倉田商事代表社員。昭和証券、防石鉄道各取締役。芸備銀行監査役。 広島県広島市堺町・倉田幾蔵の長男。広島第一中学校に入学したが、家業に従事するため中途退学する。履物商を営み、傍ら会社重役であった。広島瓦斯電軌専務取締役、同副社長を経て社長。 趣味は絵画。住所は広島市大手町9丁目、同市堺町。 倉田家は安芸郡牛田村(現・広島市東区)より明治の初年に祖父・幾蔵が出広し荒物、下駄の販売を創めた。2代目幾蔵は賀茂郡西志和村(現・東広島市)出身で、門根木家より入婿し、家業に精励、明治24、25年頃より下駄の海外輸出を決行、莫大の利益を得る。
荻山 音吉(おぎやま おときち、1885年〈明治18年〉6月… 荻山 音吉(おぎやま おときち、1885年〈明治18年〉6月26日 - 1945年〈昭和20年〉7月)は、日本の商人(酒醤油商)、栃木県多額納税者、実業家、政治家。栃木県会議員。日本鉱泉社長。宇都宮モーター商会社長。宇都宮実業学校理事。 栃木県足利市の酒醸造業植田家に三男として生まれる。23歳の時に栃木県宇都宮市荻山家の養子となり、1913年に家督を相続して襲名する。「大津屋」と称し、酒類醤油商を営む。1919年、宇都宮酒類商組合長となる。 1922年、日本鉱泉を創立、社長となる。1926年、宇都宮市会議員に当選する。市会においては中立派である。1945年、宇都宮空襲によって戦災死した。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。
朝倉 八郎(あさくら はちろう、旧姓・杉浦、1885年〈明治… 朝倉 八郎(あさくら はちろう、旧姓・杉浦、1885年〈明治18年〉1月6日 - 1950年〈昭和25年〉)は、日本の商人(米穀商)、恵美須米穀問屋組合長、地主、家主、東洋青物市場会社員。合名会社常磐松商会代表社員。 愛知県碧海郡旭村(現・碧南市)生まれ。杉浦太市の八男。朝倉徳次郎の養子。1908年、家督を相続した。米穀商を営む。また地家主で、東洋青物市場会社員であった。 宗教は日蓮宗。趣味は書画、旅行。東京在籍。住所は東京市渋谷区猿楽町、同区向山供託社アパート内。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々木 仙太郎(ささき せんたろう、1885年〈明治18年〉… 佐々木 仙太郎(ささき せんたろう、1885年〈明治18年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉11月23日)は、日本の商人(米穀商、味噌商)、政治家。大阪府貝塚市長(初代)。 大阪府泉南郡麻生郷村津田(現・貝塚市)出身。仙右衛門の長男。米穀商人となり、岸和田市本町に玄米問屋を開いて江州米などを売り、堂島北浜に乗出す。玄米問屋を見切ると津田に帰り、精米所、精麦所を起す。 味噌製造販売業を営む。貝塚町助役となる。1937年3月に岡本市治郎貝塚町長が急逝、後任に町長代理助役佐々木が指名され、同年5月に貝塚町長に就任する。1941年、貝塚町長に留任する。 1943年5月に貝塚町市制を施行、市長臨時代理者に佐々木が任命され、同年7月に初代貝塚市長に就任する。
尼子 勝吉(あまこ かつきち、1884年〈明治17年〉12月… 尼子 勝吉(あまこ かつきち、1884年〈明治17年〉12月23日 - 没年不明)は、日本の商人(醤油商)、醤油醸造家、広島県醤油同業組合長、広島県多額納税者、実業家。備南銀行取締役。 広島県広島市出身。先代忠蔵の長男。神田吉松の兄。広島県立広島商業学校を卒業。安政3年創業の醤油醸造業を承継し、傍ら銀行の重役であり県下の多額納税者に列した。 1926年、広島県醤油同業組合長に就任し、同年に先代退隠により家督を相続した。1927年以来、町総代。1930年、備南銀行取締役に当選。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。趣味は魚釣、書画、骨董。宗教は真言宗。処世の信条は、穏健着実主義。住所は広島市胡町。
田中 四郎左衛門(たなか しろうざえもん、1884年〈明治1… 田中 四郎左衛門(たなか しろうざえもん、1884年〈明治17年〉11月13日 - 没年不明)は、日本の商人(槌屋、織物問屋)、実業家、資産家。族籍は東京府平民。 東京日本橋浜町生まれ。田中四郎左衛門の長男。1890年、家督を相続。1908年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。東京銀行監査役となる。 1917年、男爵の前島彌等とはかり、日章火災海上再保険を創立し、専務取締役に挙げられる。1918年、日章信託会社を起し、会長となる。 日本絹絨紡織取締役社長、大日本文華社長、白木屋呉服店、関東機械ナット各取締役、横浜生命保険支配人などをつとめる。 謡曲を嗜む。宗教は浄土宗。住所は東京市日本橋区浜町1丁目、麹町区紀尾井町・同区三番町、四谷区南町。
石橋 理一(いしばし りいち、1884年〈明治17年〉11月… 石橋 理一(いしばし りいち、1884年〈明治17年〉11月3日 - 没年不明)は、日本の商人(畳表商)、醸造家、広島県多額納税者。 広島県人・石橋喜助の二男。1917年、家督を相続する。酒造業を営み直接国税1110円を納め、広島県多額納税者に列する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は広島県呉市泉場町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
早瀬 太郎三郎(はやせ たろさぶろう、旧字体: 早瀨 太郞三… 早瀬 太郎三郎(はやせ たろさぶろう、旧字体: 早瀨 太郞三郞、前名:為治郎・為次郎、1884年〈明治17年〉3月4日 - 1968年〈昭和43年〉5月30日)は、日本の商人(質商)、大阪府多額納税者、資産家、地主、実業家。 大阪府大阪市東区横堀五丁目生まれ。早瀬太郎三郎の長男。大阪府立堂島中学校に入り、1902年に卒業、先代太郎三郎の病没により、家督を相続し、前名・為次郎を改め襲名した。1907年、早稲田大学商科卒業。1年志願兵となり、除隊後所有土地の経営に従う。 「今木屋」と称し、貸地業を営み、傍ら会社の重役であった。桐花興業社長、大阪土地協会会長、大神中央土地、木津川土地運河、八馬汽船各取締役、東北興業、九州石炭鉱業、早瀬塗料店、東洋ベアリング、呉羽紡績各監査役、早稲田大学評議員などをつとめた。
岡田 伊平(おかだ いへい、1883年〈明治16年〉5月1日… 岡田 伊平(おかだ いへい、1883年〈明治16年〉5月1日 - 没年不明)は、日本の商人(綿布商)、実業家。泉州瓦斯社長。岸和田呉服、岸和田タオル商会、寺田銀行、和泉織物、東洋製鋼各取締役。マンジ堂製菓監査役。岸和田本町郵便局長。旧姓は北野。族籍は大阪府平民。 大阪府泉南郡麻生郷村大字海塚(現・貝塚市)出身。北野弥之助の弟。岡田伊平の養子となる。1905年、家督を相続し、旧名泰一を改める。父業を継ぎ綿布商を営む。傍ら会社の重役である。 住所は岸和田市本町。 岡田家は古くより泉州岸和田に定住し、代々八百屋を渡世としていたが、先代伊平に至り綿布商に転じた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
亀井 文平(かめい ぶんぺい、1883年(明治16年)4月 … 亀井 文平(かめい ぶんぺい、1883年(明治16年)4月 - 1937年(昭和12年)3月18日)は、日本の商人(石油商)、実業家。亀井商店(現カメイ)初代社長。塩釜ガス監査役。 岩手県江刺郡伊手村(現奥州市)出身。亀井四郎治の長男。宮城県仙台市の雑貨商に奉公する。1903年、宮城県塩竈(塩釜)で石油、雑貨、砂糖、洋粉等の販売業を始める。1934年、先代四郎治の退隠により家督を相続する。住所は宮城県宮城郡塩竈町(現塩竈市)。塩竈市宮町に亀井の邸宅がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹内 友三郎(たけうち ともさぶろう、1882年〈明治15年… 竹内 友三郎(たけうち ともさぶろう、1882年〈明治15年〉11月25日 - 没年不明)は、日本の商人(精肉商、牛肉商)、政治家、実業家。合名会社竹内商店代表社員。旧姓・山本。 大阪府人・山本義光の三男、あるいは四男。山本與次右衛門の弟。愛知県知多郡八幡町生まれ。竹内慶太郎の養子となり、1923年に家督を相続する。神戸中学卒業。 合名会社竹内商店神戸支店に入る。横浜市会議員、横浜屠場、東神冷蔵製氷各取締役などをつとめる。 宗教は禅宗。趣味は囲碁。住所は神奈川県横浜市中区真砂町1丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
室谷 藤七(むろたに とうしち、前名・藤太郎、1882年〈明… 室谷 藤七(むろたに とうしち、前名・藤太郎、1882年〈明治15年〉10月3日 - 没年不明)は、日本の商人(材木商)、アマチュアゴルファー、実業家、兵庫県多額納税者、神戸商工会議所議員。 兵庫県人・先代藤七の長男。1906年、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1912年、家督を相続し前名・藤太郎を改め襲名した。竹木材商、材木問屋、製竹輸出業、クレー製造業を営む。 会社の重役であり、室谷商店社長、室谷工業会長、大平鉱山会長、太平鉱山社長、神戸果実青物市場取締役、廣野ゴルフ倶楽部、大日本塩業各監査役などをつとめた。 アマチュアゴルファーとしても知られた。趣味は武道、ゴルフ。宗教は浄土宗。兵庫県神戸市須磨区在籍で、住所は神戸市須磨区離宮前、同区大黒町。
田村 源太郎(たむら げんたろう、前名・治郎吉、1881年〈… 田村 源太郎(たむら げんたろう、前名・治郎吉、1881年〈明治14年〉9月15日 - 没年不明)は、日本の商人(肥料商)、醸造家、実業家、地主、鳥取県多額納税者。 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)出身。田村源太郎の長男。家業は肥料及び酒類醸造業を営む。1926年、家督を相続し、前名・治郎吉を改める。中国貯蓄銀行、中国興業銀行、米子共立検番各取締役などをつとめる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は米子市糀町2丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
井上好三郎(いのうえ こうざぶろう、1881年(明治14年)… 井上好三郎(いのうえ こうざぶろう、1881年(明治14年) - 1943年(昭和18年))は日本の商人、実業家。井上好三郎商店(現:井上鋲螺工業株式会社)創業者。滋賀県甲賀市水口町出身。
桝田 與三郎(桝田 与三郎、ますだ よさぶろう、1880年〈… 桝田 與三郎(桝田 与三郎、ますだ よさぶろう、1880年〈明治13年〉5月28日 - 1951年〈昭和26年〉9月30日)は、日本の商人(生糸繭屑物商)、愛媛県多額納税者、実業家、政治家。愛媛県会議員、大洲町会議員。桝田製糸社長。愛媛県製糸業組合長。大洲銀行取締役、同監査役。旧姓・井上。 愛媛県西宇和郡三机村大字大江(後瀬戸町、現伊方町)出身。父・井上安次郎、母・シカの三男。大江小学校卒業後大洲に来て、呉服雑貨商・河野真太郎方に入り、商いについて学んだ。1899年、桝田家に養子入籍。1901年、生糸・繭屑物売買業を開始し、後桝田商店として蚕糸業に足を踏みこんだ。 1915年、若宮に製糸工場を開設、「伊予生糸」と称する生糸を生産した。
石原 栄三郎(石原 榮三郎、いしはら えいざぶろう、1880… 石原 栄三郎(石原 榮三郎、いしはら えいざぶろう、1880年〈明治13年〉4月10日 - 没年不明)は、日本の商人(かぢ平、金物商)、愛知県多額納税者。石原商店金物部代表。 愛知県人、鍛冶平、金物商・石原平左衛門の弟。1915年、分家して一家を創立し、金物卸商を営む。名古屋商工会議所議員に選ばれる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。趣味は石灯籠、庭石、茶器、書画。宗教は浄土宗。住所は愛知県名古屋市西区江川端町、店舗は中区広小路西通。 石原家は名古屋に於ける一流金物店である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青盛 恕一(あおもり じょいち、1879年〈明治12年〉11… 青盛 恕一(あおもり じょいち、1879年〈明治12年〉11月2日 - 没年不明)は、日本の商人(木材商)、広島県多額納税者。族籍は広島県平民。 広島県人・青盛友太郞の甥。1908年、分家。海軍用達商・材木商を営む広島県多額納税者である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は呉市西二河通。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879… 2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879年〈明治12年〉5月27日 - 1961年〈昭和36年〉10月21日)は、日本の商人(呉服商)、青森県多額納税者、政治家(貴族院多額納税者議員)、実業家、銀行家。青森銀行頭取。津軽鉄道顧問。「布嘉」佐々木家3代目。 青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる。佐々木眞平の長男。初代・佐々木嘉太郎の孫。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選。 1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
2代 阿部 彦太郎(あべ ひこたろう、前名・龍蔵、1879年… 2代 阿部 彦太郎(あべ ひこたろう、前名・龍蔵、1879年(明治12年)4月1日 - 1965年(昭和40年)10月25日)は、日本の商人(米穀商)、実業家、大阪府多額納税者。族籍は大阪府平民。 滋賀県・阿部市蔵の長男。1898年、大阪高等商業学校を卒業。慶應義塾大学に学ぶ。先代・彦太郎の養子となり、1904年、家督を相続し、前名・龍蔵を改め襲名する。米国に2年留学し、帰途欧州各国を巡歴して英国に至り、5年滞在して研学に費やす。 米穀商を営み、会社の重役である。角一山林土地会長、大阪阿部代表社員、内外綿、豊国火災保険、日本生命保険、大阪商船、住友信託各取締役、東洋紡績、大阪製麻、角一ゴム各監査役などをつとめる。
勝盛 達之助(かつもり たつのすけ、1879年〈明治12年〉… 勝盛 達之助(かつもり たつのすけ、1879年〈明治12年〉4月1日 - 1942年〈昭和17年〉5月27日)は、日本の商人(海産物商)、広島県多額納税者、政治家。広島市会議長(25代)。広島商工会議所会頭。前名・四方吉。広島市立工業専門学校長、広島電機大学長などを務めた勝盛豊一の養父。 広島県安芸郡呉村(現・呉市)出身。先代達之助の長男。私立光道館卒業。1882年、父に従い、広島市猫屋町に移る。先代を補佐して家事に従事。1908年に家業を継ぎ、海産物問屋兼輸出業を経営、同年5月より12年間猫屋町町総代を勤める。 1909年、家督を相続し四方吉を改め襲名する。1913年2月より連続8期広島商工会議所議員に当選、その間2回副会頭となり、1940年2月に広島商工会議所会頭に就任する。
木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)… 木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)2月5日 - 1933年(昭和8年)3月31日)は、日本の商人(薬種商)、成見屋薬局経営者、薬学者。 正七位勲六等。薬学博士。大阪薬学専門学校校長。大阪府薬剤師会長。日本薬剤師会副会長。族籍は大阪府平民。 大阪府出身。先代・木村彦右衛門の長男。幼くして父母を喪う。博聞強記で、4歳の頃には百人一首の全部を暗誦した。1883年1月、家督を相続し先代を襲名する。1893年、大阪共立薬学校に入り専ら薬学を修めた。 1899年、第五高等学校医学部薬学科(現・長崎大学薬学部)を卒業。1年志願兵として入営。東京帝国大学医科大学に入り薬学を研究した。長井博士に就いて薬化学を研究すること5年に及んだ。
寺田 三郎兵衛(てらだ さぶろべえ、旧姓・川上、前名・豊通、… 寺田 三郎兵衛(てらだ さぶろべえ、旧姓・川上、前名・豊通、1879年〈明治12年〉1月16日 - 没年不明)は、日本の商人(稲元屋、呉服商)。神奈川県多額納税者。 神奈川県高座郡藤沢町(現藤沢市)出身。川上九兵衛の長男。1892年、寺田満重の養子となり1917年、前名・豊通を改め1921年、家督を相続した。 稲元屋と称し、呉服商を営み、県下の多額納税者であった。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。住所は藤沢。 旧稲元屋呉服店は初代寺田三郎兵衛が弘化2年に創業、昭和初期には「湘南の三越」ともいわれていた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
磯野 庸幸(いその つねゆき、旧姓・吉田、1878年〈明治1… 磯野 庸幸(いその つねゆき、旧姓・吉田、1878年〈明治11年〉10月25日 - 1981年〈昭和56年〉5月31日)は、日本の実業家・政治家(貴族院議員、神奈川県会議員、衆議院議員)、商人(丸二商会、貿易商)、神奈川県多額納税者。 神奈川県橘樹郡大豆戸村(現・横浜市港北区大豆戸町)出身。吉田吾山の四男で、上郎清助の弟。生家の吉田家は醤油醸造業を営んでいた。磯野國四郎の養子となり1920年、分家した。 1900年、横浜商業学校を卒業し横浜正金銀行に入った。陸軍三等軍吏に任ぜられ第1師団経理部部員として日露戦役に従軍、陸軍二等主計に任ぜられた。輸出入商・丸二商会を起し経営した。貿易商を営んだ。 1928年の第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)で神奈川県第一区から立憲政友会所属で立候補して当選し、衆議院議員を一期務めた。
河野 徳之助(こうの とくのすけ、1878年〈明治11年〉1… 河野 徳之助(こうの とくのすけ、1878年〈明治11年〉10月1日 - 没年不明)は、日本の政治家(下関市会議員)、商人(米穀商)、山口県多額納税者、下関米穀取引所取引員、日本米穀市場員、実業家。埴生養殖場代表。炭鉱会社吉豊公司取締役。第一証券監査役。族籍は山口県平民。 山口県豊浦郡彦島町(現・下関市)出身。河野仁左衛門の三男、同久蔵の弟。彦島の一介の農家の生まれだが、幼い頃から才気縦横、僻村の一農民として終始すべき器でなかった。 小学校を出ると米穀商の前途があることを察知し16歳にして自ら店員に甘んじて下関市江村商店に入った。番頭、支配人と進級する。 26歳の頃独立して米穀仲買店舗を開いた。
廣海 惣太郎(ひろみ そうたろう、前名・惣十郎、1878年〈… 廣海 惣太郎(ひろみ そうたろう、前名・惣十郎、1878年〈明治11年〉4月29日 - 没年不明)は、日本の商人(肥料商)、実業家。阪南銀行頭取。岸和田煉瓦綿業社長。泉醤油、本辰酒造各取締役。貝塚織物相談役。泉醤油監査役。族籍は大阪府平民。 大阪府泉南郡貝塚町(現・貝塚市)、先代廣海惣太郎(後に廣海惣爺と改名)の長男。1901年、家督を相続した。同志と図り、貝塚銀行を創立し、次いで頭取となり、1940年、合併により阪南銀行頭取に挙げられた。諸会社の重役を兼ねた。 辰馬半右衛門の従兄である。人柄は『泉州商工便覧』で「品性高潔温厚玉の如き人」と評される。趣味は囲碁、盆栽、能楽、茶道。宗教は真宗。住所は大阪府泉南郡貝塚町西(現・貝塚市西町)。
根岸 太助(ねぎし たすけ、1878年〈明治11年〉 - 没… 根岸 太助(ねぎし たすけ、1878年〈明治11年〉 - 没年不明)は、日本の商人(呉服太物商、升屋)、実業家、政治家、名望家。多摩銀行、中武馬車鉄道各監査役。東京府西多摩郡青梅町長。東京府会議員。族籍は東京府平民。 川越に生まれ、根岸家に入る。呉服太物販売業を営む。青梅町長、同町会議員、郡会議員、東京府会議員などをつとめる。 6歳の時に青梅町仲町「升屋呉服店」の養子となる。 政友会に於ける地方の重鎮である。 信仰は仏教。趣味は書画、骨董。愛読書は伝記、自治書。住所は東京府西多摩郡青梅町(現・青梅市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12… 岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12月1日 - 1961年(昭和36年)1月26日)は、日本の商人(農産物貿易商)、政治家・衆議院議員(立憲政友会)、実業家。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 福井県坂井郡金津町(現・あわら市)に生まれる。生家は米穀商を営む。岡田猪平の二男、あるいは長男。1890年、従兄の初代福山甚三郎を頼って北海道に渡り、福山醸造で働く。 その後独立し、1895年、札幌郡江別村(現江別市)で雑穀商を開業。江別村会議員、同町会議員、北海道会議員、江別倉庫社長、北海道農林社長などを務めた。また江別の電気事業に関わり、函館水電取締役、北海道電力顧問を歴任し、江別発電所(1991年廃止)の建設に尽力した。
瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月… 瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月12日 - 1945年〈昭和20年〉11月6日)は、日本の政治家、実業家、商人(農具商)、精米業者、地主。 物品貸付業、農具商、精米業、農業などを営んだ。エステー自動車商会長、東京ガレージ常務取締役、伊豆水産、日本住宅各取締役、東京府北豊島郡上板橋村会議員、同村青年団名誉団員、同村在郷軍人分会名誉会員、同村学務委員、北豊島郡町村組合会議員、同村消防組委員などをつとめた。 1945年11月6日に死去。行年69才。東京都豊島区雑司が谷の霊園に墓がある。 板橋町大山の質商・瀬田文次郎の弟、瀬田醻一の叔父である。住所は上板橋村字宿(現・板橋区弥生町)、上板橋一丁目。
植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、前名・熊次郎、1877… 植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、前名・熊次郎、1877年〈明治10年〉3月 - 没年不明)は、日本の商人(木材商)、栃木県多額納税者、実業家、政治家。栃木県那須郡川西町長。族籍は栃木県平民。 栃木県那須郡川西町(現・大田原市)に生まれた。先代植竹三右衛門の長男。黒羽肥料合資会社無限責任社員であったが、1918年4月29日にその持分を菊池明弌に譲渡して退社する。1933年、家督を相続し、前名・熊次郎を改め襲名した。木材商を営み、傍ら銀行会社の重役であった。 下野木材、帝國造林、東野鉄道各社長、植竹商業代表取締役、栃木県農工銀行、那須商業銀行、下野実業銀行、黒羽銀行各取締役、下野中央銀行監査役などをつとめる。
荒木 久九郎(あらき ひさくろう、1875年〈明治8年〉10… 荒木 久九郎(あらき ひさくろう、1875年〈明治8年〉10月8日 - 没年不明)は、日本の商人(呉服太物商)、政治家、実業家、荒木合名会社社員。合資会社荒木呉服店代表。境貿易監査役。境電気取締役。鳥取県西伯郡境町会議員。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)出身。荒木重造の実兄である。境製糸社員だったが1902年にその出資額全部を社員の荒木徳三郎へ譲渡し退社する。国産古着、白木綿、呉服、反物、綛糸卸商を営む。 荒木呉服店は土地に於ける第一流の商店であったが、家族に不幸が続き、営業に全力を注ぐことができなかったので、1914年10月にやむなく整理を発表した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
天野 健太郎(あまの けんたろう、1875年(明治8年)3月… 天野 健太郎(あまの けんたろう、1875年(明治8年)3月9日 - 1937年〈昭和12年〉6月17日)は、日本の商人(呉服商)、政治家。広島県呉市長。廣島銀行、呉銀行各取締役。広島合同貯蓄銀行常務取締役。族籍は広島県平民。 広島県安芸郡和庄村(のち和庄町、現・呉市)出身。広島県平民・天野健左衛門の長男。生家は代々農業を営む。1897年、呉服商店を開始する。1898年、家督を相続する。23歳の壮齢に早くも和庄町助役となり、2年余在職する。1902年、市会議員に当選し、翌年市助役に就任。 1908年、市参事会員となる。1909年、推されて廣島銀行取締役呉支店長に任ぜられる。1911年、市会議長となる。
石原 平左衛門(いしはら へいざえもん、前名・悦太郎、187… 石原 平左衛門(いしはら へいざえもん、前名・悦太郎、1875年〈明治8年〉1月25日 - 没年不明)は、日本の商人(銅鉄商、金物商、鍛冶平)、愛知県多額納税者。族籍は愛知県平民。 愛知県人・先代平左衛門の長男。先々代の平左衛門は鍛冶職を業とし、後に金物商を営み石原家の基礎を為す。1903年、家督を相続し、前名悦太郎を改め襲名する。祖業を承けて「かぢ平」と称し銅鉄金物卸商を営む。 愛知県多額納税者であり、貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は愛知県名古屋市西区押切町2丁目、東柳町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川崎 佐治右衛門(かわさき さじえもん、1874年〈明治7年… 川崎 佐治右衛門(かわさき さじえもん、1874年〈明治7年〉11月6日 - 没年不明)は、日本の商人(肥料商)、資産家、醸造家、実業家。川崎肥料社長。和泉商店代表。泉醤油取締役。和泉洋反物監査役。族籍は大阪府平民。 大阪府泉南郡岸和田町北町(現・岸和田市)の人。川崎佐治郎の長男。1882年、家督を相続する。醤油醸造業を営む。諸会社の重役である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
万井 源太郎(よろい げんたろう、1874年〈明治7年〉9月… 万井 源太郎(よろい げんたろう、1874年〈明治7年〉9月19日 - 1947年〈昭和22年〉6月22日)は、日本の商人(茶商)、実業家、政治家。昭和バラス社長。鳥取商工会議所会頭。日ノ丸自動車監査役。鳥取市会議長(22代)。 鳥取県八頭郡八東村(現・八頭町)出身。茶商、茶器販売業を営む。1917年(大正6年)、鳥取市会議員に当選する。1931年(昭和6年)5月31日、鳥取市会議長に就任する。 1947年6月22日、鳥取市川端4丁目の自宅にて急性腹膜炎のため死去。 宗教は浄土宗。趣味は碁、読書。住所は鳥取市川端4丁目。
松崎 半三郎(まつざき はんざぶろう、1874年〈明治7年〉… 松崎 半三郎(まつざき はんざぶろう、1874年〈明治7年〉9月14日 - 1961年〈昭和36年〉11月4日)は、日本の商人(貿易商)、実業家。森永製菓2代目社長、森永乳業初代社長、立教学院元理事長。日本停車場会長。大日本製乳協会会長、日本菓子工業組合連合会理事長などを歴任した。 1874年(明治7年)9月14日、埼玉県榛沢郡桜沢村(現・大里郡寄居町)生まれ。松崎孝作の二男。1896年(明治29年)、立教学院(現・立教大学)卒業。横浜の某商館に入って直接輸出業の実習を積む。 南洋貿易業を開始する。南洋ジャバに於いて貿易に従う。しかし閉店の悲運に遭遇する。1901年(明治34年)、分家して一家を創立する。