スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
笹川 吉康(ささがわ よしやす、2002年5月31日 - )… 笹川 吉康(ささがわ よしやす、2002年5月31日 - )は、神奈川県横浜市西区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 横浜市立西前小学校3年から明神台リトルグランパースで野球を始め、横浜市立西中学校時代は「中本牧シニア」に所属。 高校は横浜市立横浜商業高等学校に進学し、1年時から外野手兼投手を務めた。甲子園出場経験は無く、2年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権神奈川大会5回戦で、3番・先発投手兼中堅手として出場し、投手として1回1/3を無失点、打者として1安打1打点を挙げるが、神奈川県立相模原高等学校に3-4で敗れた。高校通算40本塁打。 2020年10月26日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスからドラフト2位で指名され、11月13日、横浜市内にて入団交渉を行い、契約金6000万円、年俸600万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月10日、入団発表会見が行われた。
岡崎 静夏(おかざき しずか、1992年6月12日 - )は… 岡崎 静夏(おかざき しずか、1992年6月12日 - )は、神奈川県横浜市出身のモーターサイクル・ロードレースレーサー。全日本ロードレース選手権・J-GP3クラスに日本郵便 Honda Dream TPより参戦中。産業能率短期大学経済学科卒。 3才の時に器械体操を始める。小学校5年生の時に3歳年下の弟の影響でポケバイレースに出場したことがレースデビューのきっかけになった。2007年に日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)の主催する「ロードレースアカデミー」に入学、本格的にオートバイレースの世界に入る。 2009年・2010年と2年連続でMFJ主催の女性限定レース・MFJレディースロードレースでシリーズチャンピオンを獲得。
郡司 浩平(ぐんじ こうへい、1990年9月4日 - )は、… 郡司 浩平(ぐんじ こうへい、1990年9月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第99期生。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は元競輪選手で父親の郡司盛夫(50期。現在は川崎競輪場の開催指導員)。 3人兄妹の次男で年子の兄と妹がいる。小学生の時に全日本リトルリーグ野球選手権大会で優勝を経験。横浜市立横浜商業高等学校時代は野球部に所属し、3年時には外野手のレギュラーを獲得した。しかし、甲子園大会には出場することができず、ベスト8に終わった3年夏の神奈川県大会終了直後には将来の目標を見失っていた。しばらくして、父親の盛夫が競輪選手であることから、それに倣いたいと盛夫に伝えたところ、普段は温厚な性格の盛夫が態度を一変し、誓約書を書かされて漸く(2018年上半期まで)師弟関係となった。
小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、… 小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元高校野球指導者、元高校教師。2020年にはベースボール・チャレンジ・リーグの神奈川フューチャードリームス球団職員を務めた。2024年現在は藍師として活動している。 実家は桜台にある小沼酒店で、幼い頃は両親と配達に行くのが好きだった。小学2年生のとき、兄の影響で地元の少年野球チームに参加。伊勢原市立伊勢原中学校の野球部では主将を務めた。卒業後は横浜市立横浜商業高等学校に進学。硬式野球部では捕手としてプレーし、間曽晃平(BCリーグ・新潟元投手、松本大学コーチ)とバッテリーを組んだ。 高校卒業後は神奈川大学人間科学部人間科学科スポーツ健康コースに入学。
安藤 寛明(あんどう ひろあき、1986年6月24日 - )… 安藤 寛明(あんどう ひろあき、1986年6月24日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(CB、SB)。
山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )… 山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツに所属し、セントラル・リーグ新人王を受賞。NPB最多タイ記録となる最優秀中継ぎ投手を3回獲得している。2014年にNPB史上初となる200ホールドを達成。2008年から2016年までの9年連続60登板はプロ野球記録であり、この9年で5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献した。 横浜市立池上小学校1年時に少年野球を始める。横浜市立菅田中学校では軟式野球部に所属。3年時にはエースとして全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。 横浜商業高校3年夏にはエースとして全国高等学校野球選手権神奈川大会ベスト8に進出。
かじがや 卓哉(かじがや たくや、1982年10月8日 - … かじがや 卓哉(かじがや たくや、1982年10月8日 - )は、日本のピン芸人。税理士。神奈川県伊勢原市出身。横浜市立横浜商業高等学校卒業。本名は梶ヶ谷 卓哉(読み同じ)。吉本興業東京本部所属。東京NSC14期生。
福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 … 福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岡山県浅口市議会議員(1期)を歴任した。 岡山県浅口郡鴨方町深田(現・浅口市)生まれ。広島市出身の父を持つ被爆三世にあたる。岡山県立倉敷商業高等学校入学後、父の仕事の都合で神奈川県小田原市に転居し、2000年に横浜市立横浜商業高等学校卒業。拓殖大学北海道短期大学から編入して、拓殖大学政経学部を卒業。 国際連合広報センターインターン、江田五月参議院議員国会事務所インターンを経て、株式会社トランスコスモス(IT関連企業)に入社。その後柚木道義衆議院議員公設第一秘書を務める。 2014年、浅口市議会議員選挙に初当選する。
森 貴美子(もり きみこ、本名:掛川 貴美子(かけがわ きみ… 森 貴美子(もり きみこ、本名:掛川 貴美子(かけがわ きみこ)/旧姓:森、1980年12月4日 - )は日本のファッションモデル。エナジーモデルエージェンシーを経てイデア所属。 神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。横浜市立横浜商業高等学校卒業(同級生に長尾寛征)。関東学院女子短期大学中退。 1999年から2001年まで雑誌『non-no』の専属モデルとして活躍。その後は『non-no』をはじめ『mini』『mina』などのファッション雑誌で活躍。(『non-no』は2010年に卒業。) 2007年1月、所属事務所を移籍した(エナジーモデルエージェンシー → イデア)。 2010年4月12日に、カメラマンの掛川陽介と結婚。
長尾 寛征(ながお ひろゆき、1980年8月28日 - )は… 長尾 寛征(ながお ひろゆき、1980年8月28日 - )は、日本のカヌー選手。神奈川県横浜市出身。神奈川県在住。2008年北京オリンピック代表。三馬正敏と組んでスラロームカナディアンダブルスに出場し準決勝敗退、9位となった。身長は170cm、体重は64kg。血液型はO型。 横浜市立横浜商業高等学校、明和学園短期大学、徳島文理大学卒業。横浜商業高校時代は森貴美子と同級生。 現在は高等学校で家庭科の教師をしている。
長坂 健冶(ながさか けんじ、1977年10月29日 - )… 長坂 健冶(ながさか けんじ、1977年10月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。本名は健治だが、2005年に登録名を健冶へ変更(さんずいの「治」からにすいの「冶」へ変更)。 横浜市立横浜商業高等学校から横浜商科大学へ進み、2年春と4年春はベストナイン。日本IBM野洲に入社。鉄砲肩で有名、特に中村泰広とバッテリーを組み、滋賀県の社会人野球ではほぼ無敵の強さを誇っていた。 2001年秋に行われた大阪近鉄バファローズと日本IBM野洲とのプロアマ交流戦で、当時ウエスタン・リーグ2年連続盗塁王だった森谷昭仁の盗塁を2回刺し、二軍ベンチとネット裏のスカウトを驚かせた。近鉄は、予定にはなかったが急遽長坂をドラフト指名リストに入れ、長坂は同年のドラフト会議で近鉄から8巡目指名を受けた。
武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神… 武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 横浜商高では1990年に夏の甲子園に出場し、2回戦の日大東北戦ではランニング本塁打を記録するなど、チームのベスト8進出に貢献した。創価大学で1年秋に首位打者、最多打点で最優秀新人、MVPとなる。盗塁王1回、ベストナイン3回。1995年のドラフトで近鉄に3位指名され、入団。 2年目の1997年、オープン戦で振るわなかったために開幕一軍はならなかったが、開幕8試合目から1番でスタメン出場するようになり、遊撃手のレギュラーとしても定着、大村直之がスタメンに入った後は2・9番併用、8月から再び1番に入る。
河原 隆一(かわはら りゅういち、1971年8月10日 - … 河原 隆一(かわはら りゅういち、1971年8月10日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズの編成部スカウティングディレクター兼アマスカウトグループグループリーダー。 小学2年の時に野球を始める。 横浜商業高時代は、2年秋に県大会優勝、関東大会ベスト4で1989年に行われた第61回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝で種田仁(後々同僚となる)、元木大介率いる上宮高に敗れ、ベスト4。 高校卒業後は関東学院大学に進学。大学4年時の1993年の大学選手権(第42回大会)で、エース河原擁する関東学院は久留米大、佛教大、明治大、東北福祉大すべてを完封して勝ち上がったものの、決勝戦で小久保裕紀主将の青山学院大と戦い1-3で敗れ準優勝に終わった。
服部 桂吾(はっとり けいご、1971年6月2日 - )は、… 服部 桂吾(はっとり けいご、1971年6月2日 - )は、日本の俳優。神奈川県出身、血液型はO型。横浜市立横浜商業高等学校、青森大学社会学部社会学科卒業。劇団空間演技退団後、宗谷ROCKETS!!に参加・プロダクション・タンク所属。
滝沢 涼子(たきざわ りょうこ、1969年1月1日 - )は… 滝沢 涼子(たきざわ りょうこ、1969年1月1日 - )は、日本の女優。神奈川県出身。横浜市立横浜商業高等学校美容科卒。
宮内 亮治(みやうち りょうじ、1967年8月19日 - )… 宮内 亮治(みやうち りょうじ、1967年8月19日 - )は、日本の実業家。株式会社ライブドアの元取締役。神奈川県横浜市出身。 両親の離婚後、露天商の祖母の下で育つ。横浜市立横浜商業高等学校卒業後、税理士事務所で働きながら、税理士資格を取得。税理士活動中にオン・ザ・エッヂ(現・LDH)の税理業務を請け負う。その仕事において堀江貴文と出会い、会社のアドバイザーとして活動するようになる。 後に税理士を辞め、オン・ザ・エッヂにCFOとして入社し、オン・ザ・エッヂのM&A部門を担当。税理士としての知識を生かしながら、オン・ザ・エッヂの数々の買収を担当した。ライブドアとイーバンク銀行の提携の際にイーバンク銀行営業本部長として就任するも、提携が進まなかった責任を取り、ライブドア取締役を一時的に辞任。
中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )… 中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元社会人野球選手(外野手)。左投左打。 1996年アトランタオリンピック野球日本代表主将。 小学校4年の時に「永田オックス」で野球を始め、横浜市立永田中学校時代に投手から外野手に転向。 横浜市立横浜商業高等学校では2年春からベンチ入りし、2年秋からエース三浦将明擁するチームの主力となる。3年春(1983年)には第55回選抜高等学校野球大会では5番センターで出場、水野雄仁 擁する池田高に敗れ、準優勝を果たした。 春夏連続出場した夏の第65回全国高等学校野球選手権大会でも5番センターで、決勝戦で桑田真澄、清原和博のKKコンビ擁するPL学園高に敗れ、惜しくも春夏連続準優勝となった。
三浦 将明(みうら まさあき、1965年9月17日 - )は… 三浦 将明(みうら まさあき、1965年9月17日 - )は、神奈川県川崎市幸区出身の元プロ野球選手(投手)。甲子園ではエースとして春夏ともに準優勝に導いた。 川崎市立御幸中学校在学時は、同校軟式野球部に所属し投手として活躍した。 高校は県内および東京の私学校から熱心な誘いを受けるも、地元神奈川の強豪である公立の伝統校、Y校こと横浜商業高に入学。 1981年秋の新チームから、1年生ながら長身から投げ下ろす速球と縦に割れる大きなカーブを武器に主戦投手としてチームを牽引。旧くからのライバル校である横浜高を筆頭に桐蔭学園高や東海大相模高、法政二高や日大高など数多の強豪私学がひしめく秋季神奈川県大会を制する。
荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は… 荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 愛称は同姓のタレント・荒井注にちなみ「チューさん」。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 横浜市立六浦中学校から横浜商業高校に進学。中堅手として1982年の春の選抜に出場。2年生エース三浦将明を擁し準決勝に進出するが、この大会に優勝したPL学園の榎田健一郎投手に抑えられ、2-3xで9回サヨナラ負け。高校通算43本塁打を記録している。 卒業後は社会人野球の日本石油に所属、1984年ロサンゼルスオリンピック野球日本代表では四番に座り金メダル獲得に貢献した。同年の日本・キューバ国際野球大会でも日本代表に選出されている。
冴場 都夢(さえば とむ、1962年11月22日 - )は、… 冴場 都夢(さえば とむ、1962年11月22日 - )は、日本の俳優・リポーター。本名、多田 雄司。旧芸名は水本 隆司・水本 隆志・多田 優次。横浜市出身。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後20歳の時に、俳優・千葉真一の付き人として芸能界に入る。翌年、付き人と並行しつつジャパンアクションクラブ (JAC ) に入団して俳優業を開始。1988年、水本 隆司の芸名で特撮テレビドラマ『電脳警察サイバーコップ』に毛利亮一 / サターン役でレギュラー出演。1990年代後半からはモータースポーツの実況やリポーターとして活動した。その後介護職員として勤務。 2019年3月5日、第19回統一地方選挙の一環として行われる神奈川県議会議員選挙に横浜市神奈川区選挙区より国民民主党公認で立候補したが落選。
宮城 弘明(みやぎ ひろあき、1962年6月16日 - )は… 宮城 弘明(みやぎ ひろあき、1962年6月16日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)、政治活動家。 横浜市でラーメン店を営む家庭に生まれ、野球好きの父によって左投げに矯正される。鶴見中学校3年生の時に2人のプロ野球選手から三振を奪い、10校以上の野球部から勧誘を受けて横浜商業高へ進学。 高校進学後は基礎体力作りに努め、高校2年生の1979年には、夏の県大会決勝で横浜高の愛甲猛との投げ合いを制し、同校を41年ぶりの夏の選手権出場へ導いた。しかし試合後に左肩に激痛を感じ、香川伸行とともに大会を代表する選手に挙げられていた本大会では、変化球主体の投球で準決勝まで勝ち進むも、石井毅、嶋田宗彦のバッテリーを擁する箕島高に惜敗。
井原 幸治(いはら こうじ、1961年10月13日 - )は… 井原 幸治(いはら こうじ、1961年10月13日 - )は神奈川県出身の日本の商学者である。 元宝酒造株式会社、元宝酒造中国現地法人社長、現在は、東大阪大学こども学部アジアこども学科教授である。
中島 浩人(なかじま ひろと、1960年4月11日 - )は… 中島 浩人(なかじま ひろと、1960年4月11日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 横浜商業高では前年に続いて1978年の夏の県大会決勝に進出。横浜高の1年生・愛甲猛投手と投げ合うが3-5で敗退。甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鋼管に入社。1982年の都市対抗野球に日産自動車の補強選手として出場し、準決勝では住友金属を相手にリードされた終盤に登板したが敗れる。同年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受けるが、これを保留したままチームに残留し、翌1983年の都市対抗野球に出場。自身は救援で1試合に投げて、チームは準々決勝まで進出するが東芝に敗退。
有吉 喜文(ありよし よしふみ、1948年1月23日 - 2… 有吉 喜文(ありよし よしふみ、1948年1月23日 - 2018年12月30日)は、日本の実業家。株式会社魚喜創業者で、同社代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。 神奈川県出身。1966年横浜市立横浜商業高等学校卒業。1990年魚喜水産(現魚喜)設立、同社代表取締役就任。2006年魚喜名誉会長。2009年魚喜取締役会長。同年魚喜代表取締役社長に復帰。2015年には全国農業協同組合連合会と業務提携し、エーコープ強化などにあたった。2018年魚喜代表権会長。同年病気療養中死去した。
片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神… 片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区釜利谷町出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜商業高校では、エースとして1964年の夏の甲子園神奈川県予選の準決勝に進出するが、鎌倉学園の林千代作中堅手に本塁打を喫し敗退。 高校卒業後は、神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは3度の優勝に貢献。1966年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、延長11回、日大に敗れた。大学同期に村越稔捕手がいる。1968年には秋季にリーグ最優秀選手となり、明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で久玉清人をリリーフし、村越とバッテリーを組んで登板するが、関西六大学選抜に敗退した。
斎藤 勁(さいとう つよし、齋藤 勁、1945年〈昭和20年… 斎藤 勁(さいとう つよし、齋藤 勁、1945年〈昭和20年〉7月10日 - )は、日本の政治家。 内閣官房副長官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、横浜市会議員(2期)などを歴任。 神奈川県横浜市生まれ。中学校卒業後、横浜市役所に就職し、働きながら横浜市立横浜商業高等学校定時制、神奈川大学第二法学部卒業。 1987年、横浜市会議員選挙に立候補し、初当選。1995年、第17回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で神奈川県選挙区から立候補し、当選。1996年、社会党の党名変更により社会民主党の結成に加わるがのちに離党し、旧民主党結党に参加した。
山本 小鉄(やまもと こてつ、1941年10月30日 - 2… 山本 小鉄(やまもと こてつ、1941年10月30日 - 2010年8月28日)は、日本のプロレスラー。本名は山本 勝(やまもと まさる)。リングネームは豊登の命名。神奈川県横浜市南区出身。新日本プロレス所属。タレントとしても活動しており、芸能事務所はインターテイク所属であった。 現役引退後はワールドプロレスリング解説者・マッチメイカー・レフェリーとして活躍していた。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、東海金属工業に勤務しながらYMCAでボディビルに打ち込み、1963年に日本プロレスに入門。同年12月15日に力道山が亡くなったことから、力道山の最後の弟子となった。同年7月19日に北沢幹之戦でデビューした。
北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22… 北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。神奈川県横浜市出身。麻雀劇画や原作付きの作品が多い。麻雀の打ち手としては1974年第1期王位戦、1983年第14期名人戦で決勝進出(どちらも5人打ち)の実績がある。 少年のころから絵を描くのが好きで、やがて漫画も描くようになる。横浜商業高校在学中に少女漫画『三つの願い』でデビューした後に手塚治虫と知り合い、卒業後に弟子入りしてアシスタントとしても務める。虫プロダクションにて『どろろ』『ジャングル大帝』『あしたのジョー』等の作画監督や演出を務めた後、29歳の時に独立して漫画家へ。代表作の『牌の魔術師』は、日本で麻雀漫画が連載となった最初の作品であるとされる。
須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日… 須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日 - 1995年〈平成7年〉11月20日)は、日本のプロボウリング選手。東京都出身。 ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。永久シード権者。永久A級ライセンス取得者第1号。川崎スターレーン→日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)初代代表。JPBA日本プロボウリング協会元副会長。 東京都中野区で次女として生まれる。物心ついたときにはすでに父が亡くなっており、母が賄い婦として夜遅くまで働いて女手一つで一家の生活を支えていた。それでも生活は貧しく、たまに早く帰宅した母は一人晩酌をしながら「並みの人間じゃダメなんだよ開代子、並みの人間じゃ私みたいに一生苦労するよ」とよく説いていた。
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14… 桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 20… 澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 2022年9月21日)は、日本の映画監督。 神奈川県横浜市出身。1956年、中央大学経済学部卒業。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、1年間の銀行勤務を経て中央大学経済学部に入学。在学中の三年時には東京児童劇団に裏方として参加。卒業後の1956年、日活に入社。鈴木清順、斎藤武市らに師事し、長い間の助監督を経て、1970年、渡哲也主演映画『斬り込み』で監督デビューした。 長谷部安春、小澤啓一、藤田敏八らとともに日活ニューアクション路線を大きく支えた。日活がロマンポルノ製作をメインにしてからも、松田優作主演『あばよダチ公』、『高校大パニック』などの一般向け映画から、福祉・家族向け映画も手掛け、1974年の『ともだち』は翌年のベオグラード国際児童映画祭にてグランプリ(ユニセフ大賞)を受賞した。
大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31… 大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31日 - 2012年(平成24年)2月1日)は、日本のプロ野球セントラル・リーグ審判。神奈川県横浜市出身。プロ野球で没収試合(後述)を宣言した数少ない審判員でもある。 横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、春の選抜・夏の選手権の全国大会へは進出できなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1961年にセントラル・リーグの審判部に入局。関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。 若い頃から視力が落ちており、一時期は眼鏡をかけて審判していたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂に眼鏡をむしり取られるという出来事に見舞われてからはコンタクトレンズをつけて審判するようになる。
青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の… 青柳文司(あおやぎ ぶんじ、1926年7月 - )は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。経済学博士。 G.O.メイ『財務会計―経験の蒸留』において多用されるコンヴェンションという言葉の意味を探ることをかわきりに、アメリカ会計制度の経済史的考察を踏まえてW.A.ペイトン、W.J.ヴァッター、DR スコットなどの米国の主要な会計学説を丹念に渉猟する一方で、哲学、言語学、社会学など諸学の成果を援用して会計言語説を展開した。近年はそれをさらに発展させ、会計物語論、会計演劇論など会計の哲学を探求している。 門下生に全在紋、永野則雄等。神奈川県横浜市出身。 編著・共著数冊。百本を超える論文がある。
宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 20… 宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1969年)。第9代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。1997年から2010年まで日本学士院会員。元理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、元厚生省社会保障制度審議会会長、財団法人医療経済研究機構所長。神奈川県生まれ。 1962年エコノミスト賞、1977年日経・経済図書文化賞、1983年神戸賞、1998年勲一等瑞宝章。2010年正四位。指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)などがいる。 指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)、叶芳和(元国民経済研究協会理事長)、武蔵武彦(千葉大学名誉教授)、荒井一博(一橋大学名誉教授)、松水征夫(広島大学名誉教授)、野本了三(広島大学教授)、藤垣芳文(成蹊大学教授)、花井敏(南山大学名誉教授)、進藤孝生(日本製鉄会長)など。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 201… 河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 2016年9月21日)は、日本の詩人。河合紗良(さら)および河合紗己(さき)名義でも活動を行った。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜商業高等学校卒業。堀口大學に学ぶ。詩誌「誌苑」主宰。1967年、詩集『愛と別れ』(河合沙良名義)にて第7回室生犀星詩人賞受賞。2016年、肺炎のため、東京都世田谷区の自宅にて死去。 妻は声楽家の河合敏子。
岡本 三男(おかもと みつお、1921年3月15日 - 没年… 岡本 三男(おかもと みつお、1921年3月15日 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 1950年に創設された西日本パイレーツへ入団。 球団消滅に伴って1951年に大洋ホエールズへ移籍。1952年引退。
兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2… 兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2012年6月23日)は、日本の洋画家。 1920年(大正9年)1月、横浜市中区真砂町1丁目の絹織物輸出商の家庭に兄一人・姉二人のいる末っ子として生まれる。父の和四朗は河東碧梧桐に師事した俳人、母せいは群馬県桐生の機織業者矢島家の三女であった。1923年に発生した関東大震災の後に、三渓園にほど近い中区間門町に移る。1932年、考古学を専攻する兄に代わり家業を継ぐため横浜市立横浜商業学校に入学。1933年、同校2年生在学中に、幼稚園からの同窓の堀江祐造に刺激され油絵を始める。翌年の夏休みからは市内弘明寺町にあった川村信雄の画塾に通い、主に石膏デッサンを学ぶ。
田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 200… 田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)。新自由クラブ代表(2代)、進歩党代表。元神奈川県議会議員田川誠治の長男。リベラル派、進歩主義派の代表的な政治家だった。 神奈川県横須賀市出身。田川家は大地主の家系。横浜商業学校(現・横浜市立横浜商業高等学校)を経て、1941年12月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入社したが、翌年に陸軍・近衛歩兵第5連隊補充隊(東部第8連隊)に入営した。復員後は朝日新聞社に復職し、通信部及び政経部記者、同社労組委員長等を務める。退社後、松村謙三衆議院議員(元文部大臣)秘書を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に初当選。
鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982… 鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982年7月27日)は、日本の詩人。宗教評論家。ギリシア正教徒。洗礼名ダニール。漢詩文では不羣(ふぐん)と号した。 サン=ジョン・ペルスに影響された長大な叙事詩的スタイルの作品が特徴である。少年時代からボードレール『悪の華』に原書で親しむなどしたが、戦時中に新興俳句運動に出会い、富澤赤黄男に師事して俳人として出発した。北海道石狩に戦後開拓に入るが、やがて離農、札幌で印刷会社に校閲者として就職した。その頃に現代詩に転じ、和田徹三の形而上詩誌「湾」同人として活動した。 定年退職とともに埼玉県に移住。前年に出版した『定本鷲巣繁男詩集』で歴程賞受賞。
森川 信(もりかわ しん、1912年(明治45年)2月14日… 森川 信(もりかわ しん、1912年(明治45年)2月14日 - 1972年(昭和47年)3月26日)は、日本の俳優およびコメディアン。本名は森川 義信。神奈川県横浜市南区出身。横浜市立商業学校卒業。元妻は水戸光子。 商業学校卒業後、銀行に勤める傍ら、役者になるために演劇学校へ通う。 1931年、遠戚にあたる俳優・静香八郎と共に俳優の道へ進み、1932年に静香主演の『肉弾三勇士』での死体役でデビュー。 その後、一座を組んで浅草で芝居を試みるが、浅草演劇界ではエノケンとロッパが君臨していたため、競合を余儀なくされた。 その後、大阪、名古屋、京都、博多など各地を転々とし、この頃に清水金一、田崎潤、淀橋太郎などを知った。
油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月… 油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月12日 - 1984年(昭和59年)7月23日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 福島県福島市で、実業家油井徳蔵の息子として生まれる。1925年(大正14年)横浜商業学校(現横浜市立横浜商業高等学校)を卒業した。 卒業後、横浜正金銀行に入行。以後、福島栄町郵便局長、九笹機業場監査役、福島絹織物元卸商業組合理事、福島絹人絹織物元配給常務取締役、福島県繊維品価格査定委員会第1部長、油井商店社長、不二社長、福島県織物元配給社長、信夫精器取締役、福島絹業取締役、中央防火塗装社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に福島県地方区から出馬して当選し、その後、自由党に所属して参議院議員を1期務めた。
大橋 秀雄(おおはし ひでお、1903年3月15日 - 20… 大橋 秀雄(おおはし ひでお、1903年3月15日 - 2002年6月1日)は、日本の警察官、著述家。元警視庁警視正。 警視庁特高部外事課に所属していた警部補当時、副主任としていわゆるゾルゲ事件を担当し、事件の全貌を明らかにした。その功により、1943年(昭和18年)に内務大臣功労記章を受章した。 神奈川県横浜市出身。横浜商業学校を経て、日本大学専門部法律学科第二本科を卒業した。1924年(大正13年)、陸軍近衛野砲兵連隊に入営し、1928年(昭和3年)陸軍砲兵少尉に任官した。同年警視庁巡査となる。 1932年(昭和7年)に巡査部長、1935年(昭和10年)に警部補に昇進する。1936年(昭和11年)、特別高等警察部外事課欧米係となる。
陶山 篤太郎(すやま とくたろう、1895年〈明治28年〉4… 陶山 篤太郎(すやま とくたろう、1895年〈明治28年〉4月4日 - 1941年〈昭和16年〉9月28日)は詩人、実業家。昭和初期に政治家としても活動した。 1895年、神奈川県橘樹郡川崎町(現・川崎市)砂子生まれ。1913年(大正2年)に横浜商業学校(現・横浜市立横浜商業高等学校)卒業。 1919年(大正8年)の雑誌『太洋の周辺』の同人になり、1924年(大正13年)に詩集「銅牌」を刊行する。また、労働学校の講師になり、労働者の教育に従事する。 1932年(昭和3年)に社会民衆党から川崎市会議員選に出馬して最高点で当選、1936年には神奈川県会議員にも当選して1938年 - 1939年に県会副議長。
西田 半峰(にしだ はんぽう、1894年 - 1961年7月… 西田 半峰(にしだ はんぽう、1894年 - 1961年7月26日)は、日本の版画家、画商。三重県一志郡七栗村(現・津市)出身。本名は西田武雄(にしだ たけお)。 6歳の頃、母方の親類の養子となり横浜へと移り、1945年に三重へ疎開するまで関東で過ごす。横浜商業学校に在学中、第8回文部省美術展覧会(文展)に水彩画「倉入れ」が入選。その後、本郷洋画研究所に入りエッチング(銅版画)の画法の研究・普及に熱心に努め、1923年には東京で画廊「室内社画堂」を開き、日本で最初の洋画商となり、1932年11月には日本エッチング研究所の名のもと、雑誌「エッチング」を創刊・編集したことから「エッチングの父」とも呼ばれる。
相馬 英二(そうま えいじ、1892年(明治25年)2月 -… 相馬 英二(そうま えいじ、1892年(明治25年)2月 - 没年不明)は、日本の実業家。弁天倉庫監査役。相馬合名出資社員。旧姓・小栗。 愛知県・小栗次郎の二男。小栗卓衛の弟。相馬市作の養子となる。横浜市立商業学校卒業。 宗教は曹洞宗。趣味は読書、旅行、囲碁。北海道在籍で、住所は函館市富岡町、東京市淀橋区百人町。
村岡 儆三(むらおか けいぞう、1887年〈明治20年〉 -… 村岡 儆三(むらおか けいぞう、1887年〈明治20年〉 - 1963年〈昭和38年〉2月6日)は、日本の出版業者・印刷業者。神奈川県横浜市出身。父は聖書印刷で知られる村岡平吉、妻は翻訳家の村岡花子(後妻、後述)。母方の従姉妹に社会運動家の賀川ハルがいる。 横浜商業学校(後の横浜市立横浜商業高等学校)卒業後、1907年(明治40年)に父の営む福音印刷合資会社(後の福音印刷株式会社)に入社し、父の事業を助けた。1914年(大正3年)に同社の東京市(後の東京都)銀座進出後、銀座支店の責任者となった。1915年(大正4年)に結婚して長男をもうけたが、妻が結核を発病し、別居を余儀なくされた。 後に村岡花子(当時は安中姓)の翻訳原稿を読んで興味を抱き、花子の翻訳による『モーセが修学せし國』の印刷人を務めた縁で1919年(大正8年)4月8日に花子と出逢い、やがて恋に落ちた。
河野 安通志(こうの あつし、1884年〈明治17年〉3月3… 河野 安通志(こうの あつし、1884年〈明治17年〉3月31日 - 1946年〈昭和21年〉1月12日)は、石川県大聖寺町(現:加賀市)出身のアマチュア野球選手(投手)。日本初のプロ野球チーム創設者。 父は河野通理で、加賀藩士。妻の河野いゑは飛田穂洲(忠順)の妹。 1897年(明治30年)一家は横浜に転居し、野球に親しむようになる。旧制横浜商業学校在学中は野球に熱中しすぎたためか中退した。転校した明治学院には4年に編入し、わずか半年ほど在籍しただけだが、この時期に安部磯雄と出会い、彼のキリスト教精神に共鳴した。東京高等商業学校を目指していたが、1903年(明治36年)に早稲田大学商科入学。早大入学後、創設して3年目の野球部に入部し、ここでまたも野球部部長の安部に偶々出会う。