青木 安里磨(あおき ありま、2000年8月24日 - )は… 青木 安里磨(あおき ありま、2000年8月24日 - )は、長野県安曇野市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 松本大学から2023年にAC長野パルセイロに加入した。しかし春先から体調不良でチームから離脱していた。そして公式戦に1試合も出場しないまま2023年7月6日に選手・クラブ双方合意のもと契約解除となり、退団した。その後、11月12日に行われた長野県サッカー選手権大会にFCアンテロープ塩尻のメンバーとして出場。以降は同クラブの所属選手として活動している。
岩渕 香里(いわぶち かおり、1993年4月28日 - )は… 岩渕 香里(いわぶち かおり、1993年4月28日 - )は、日本の元スキージャンプ選手である。 菅平中学在学中の2009年3月3日に蔵王で行われたコンチネンタルカップ(国際蔵王ジャンプ大会NHK杯)で国際戦デビュー(21位)。翌日に行われたコンチネンタルカップ(国際蔵王ジャンプ大会山形市長杯)は失格となった。長野県飯山高等学校に進学し、2010年1月23日に行われたコンチネンタルカップシェーンヴァルト=ショーナッハ大会で16位(日本人最高位)に入る。2011-12年シーズンから始まったワールドカップに初戦から参戦し第11戦の蔵王で自己最高の7位となった。 松本大学1年時の2012年のサマーグランプリではクールシュヴェルで10位、ヒンターツァルテンで5位と2戦終了時点で総合8位に入り、その後の国内2戦でも高梨沙羅を破って優勝したが、9月に遠征先のイタリアで着地時に両膝の前十字靭帯を断裂し、手術とリハビリに費やすこととなる。
山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、… 山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 府中南小学校4年生の時にソフトボールを始め、投手として府中南ソフトボールクラブに在籍。6年時には、チームを広島県大会の3位に導いた。緑ヶ丘中学校への進学後に、安芸イーグルスで野球をスタート。しかし、1年生夏に小児がん(白血病)と診断された(詳細後述)。 卒業後は広島国際学院高校へ進学。前述の病気のブランクで入学当初は球速90km/h程度だったが、練習や肉体改造に取り組んだ末、3年生夏の選手権広島大会で、背番号10ながら全試合で先発投手に起用。しかし、準々決勝で如水館高校に敗れた。
藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - … 藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - )は、長野県上田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 上田西高時代は外野手であり、3年生夏の長野大会ベスト4。 松本大学に進学し、捕手に転向。1年春から正捕手。4年生の秋に関甲新学生野球連盟の2部リーグで優勝し、チーム史上初の1部昇格に貢献した。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成1位指名を受け入団。松本大学から初のドラフト指名となった。また、埼玉西武ライオンズは2011年まで育成制度を利用していなかったため、西武初の育成ドラフト指名選手となった。 2012年シーズンはイースタン・リーグに6試合出場し、2打数1安打、打率.500の成績であった。
小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、… 小沼 慶多(おぬま けいた、1987年7月22日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元高校野球指導者、元高校教師。2020年にはベースボール・チャレンジ・リーグの神奈川フューチャードリームス球団職員を務めた。2024年現在は藍師として活動している。 実家は桜台にある小沼酒店で、幼い頃は両親と配達に行くのが好きだった。小学2年生のとき、兄の影響で地元の少年野球チームに参加。伊勢原市立伊勢原中学校の野球部では主将を務めた。卒業後は横浜市立横浜商業高等学校に進学。硬式野球部では捕手としてプレーし、間曽晃平(BCリーグ・新潟元投手、松本大学コーチ)とバッテリーを組んだ。 高校卒業後は神奈川大学人間科学部人間科学科スポーツ健康コースに入学。
川原みなみ(かわはら みなみ、1969年1月13日 - )は… 川原みなみ(かわはら みなみ、1969年1月13日 - )は静岡県熱海市出身のモデル、キャスター。 松商学園短期大学卒業。モデルを経てテレビ東京のニュースもぎたて朝一番、NEWSモーニングJAMなどで気象情報を担当、また1993年放送の三菱ダイヤモンド・サッカー(Jリーグ情報番組)のアシスタントなどテレビレポーターとして活躍。芸名を改名して以降は女優としても活躍。水晶院開運ナビゲーター。 のちに韓国に語学留学し、韓国内でもタレント、女優活動をしていたが帰国、2005年5月より、レディス4のサブ司会を担当するようになった(同7月28日の放送で卵巣癌の治療のため一時休養に当てることを明らかにしたが、10月3日の回から復帰した)。
菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月2… 菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月22日 - )は、日本の医師・医学博士、元政治家(松本市長 4期)、松本大学学長なども務めた。 長野県更埴市(現:千曲市)生まれ。稲荷山町立稲荷山中学校(現:千曲市立更埴西中学校)長野県上田高等学校を経て、信州大学医学部卒業・医学博士取得。聖路加国際病院での研修を経て信州大学医学部第二外科学教室に入局。1976年トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学ぶ。1991年から松本市のNGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加する。1993年信州大学医学部助教授に就任。その後教授選考から漏れたことをきっかけに退局。 鎌田實らの勧めにより、1996年からベラルーシ共和国の首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。
菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 201… 菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 2011年2月28日)は、日本の文部官僚、教育者、松本大学第2代学長。 長野県東筑摩郡島内村(現・松本市)出身。長野県松本深志高等学校、東京大学教育学部教育行政学科卒業。東大在学中、野球に打ち込んだ。 1960年に文部省に入省した。同省では、財務課長、大臣官房審議官(人事課長)、教育助成局担当審議官(高等教育局担当審議官)、京都大学事務局長(官房審議官・教育助成局担当)、教育助成局長などを歴任した。 1991年6月11日付で文部省を退職した。その後、日本育英会理事を経て、1997年12月12日付で国立特殊教育総合研究所所長となった。 1999年に、長野県の学校法人佐久学園の理事長となったが、これは1996年に傘下の信州短期大学(後の佐久大学信州短期大学部の前身)の補助金不正受給問題が明るみに出た後、立て直しを図った北條舒正(信州大学元学長)の後任であった。