山西 惇(やまにし あつし、1962年12月12日 - )は、日本の俳優・声優。本名、畑中 敦史。リコモーション所属。身長170cm、体重67kg。血液型はB型。京都府京都市出身。 京都聖母学院小学校、東大寺学園中学校・高等学校卒業後、京都大学工学部石油化学科に入学。1回生の時より学生劇団を母体とする劇団そとばこまちに所属する。1986年に同大学卒業後、教授の推薦により関西の石油化学メーカーに就職。研究職として勤務するかたわらで、2年目から「趣味の延長」として週末や終業後を利用して「そとばこまち」に再び参加、役者と演出を務める。 4代目座長の生瀬勝久のもと初の東京進出となる1992年2月の舞台『冬の絵空』(本多劇場)で演出を手がけるが、上演期間と勤務先のハワイ研修の日程が重なったことで、「食うくらいなら、なんとかなるで」との生瀬の言葉にも背中を押されて退職を決意、芝居に専念することとなる。
出典:ウィキペディア「山西惇」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
