木口 重彦(きぐち しげひこ、出生名:九一、読み:きゅういち、1883年(明治16年)8月22日 - 不明 )は、日本の実業家である。軍需工場でもあった日本加工織布の取締役。岡山県総社市出身。 1883年(明治16年)8月、岡山県吉備郡久代村(現:総社市)で父・木口豊三郎、母・仲の長男として出生。1901年に旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)卒業を経て、早稲田大学政治経済学科へ入学し、1904年(明治37年)、20歳で卒業した。1928年(昭和3年)父の死去と共に、45歳で木口家の家督を相続し、名前を九一から重彦へ改名している。 大学卒業後、実業界に実を投じ、貿易会社であった第一洋行の取締役となり、その後、1918年(大正7年)35歳のときに太陽製帽の支配人を務めている。
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