サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年〈昭和7年〉1月3日 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。セツコ・サーローの日本語表記がある。 中村節子として、広島市南区で生まれた。中村家はかつて広島藩士だったが、明治時代になると生活が楽ではなくなったという。祖父・弥太郎は広島県令(知事)千田貞暁に賛同し、難事業だった宇品築港計画に奔走した。 父・弁吉はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた。 広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部で暗号解読作業の訓練を受けた。
出典:ウィキペディア「サーロー節子」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
