石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1980年)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。ノーヒットノーランを2度達成している。 軟式野球の東京リーガル協会から阪急軍のテストを受け、重松通雄とともに入団。 打者を「幻惑」するために、以下のように多彩な変則投法を繰り出し、千葉茂に「チャップリン投法」と評された。 1937年7月16日のセネタース戦で球団初のノーヒットノーラン、16勝を挙げた1940年には2度目のノーヒットノーランを達成した。1941年に南海軍へ移籍。1943年に大和軍へ移籍。1946年にゴールドスターにプロ復帰して球団最初の開幕投手を務めたが、同年に引退した。 1946年を最後にプロ野球界から離れたが、1948年(昭和23年)の第19回都市対抗野球に、北関東代表の山藤クラブ(前橋市)の投手として出場している。
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