スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青野 南美(あおの みなみ、2000年6月3日 - )は、日… 青野 南美(あおの みなみ、2000年6月3日 - )は、日本の柔道及びレスリング選手。階級は63kg級。山口県出身。 柔道は5歳の時に父親の影響で始めた。下関長府中学3年の時に全国中学校柔道大会48㎏級の3回戦で敗れた。豊浦高校2年の時に全国高校選手権63㎏級の準々決勝で新田高校2年の立川桃に内股で敗れて5位だった。3年の時にはインターハイの2回戦で立川に小外掛で敗れた。一方で、柔道以外にレスリングにも取り組むと、高校時代にジュニアクイーンズカップで2位、アジアカデット選手権で3位になるなどした。 2019年に日下部基栄が指導する福岡大学へ進学すると、3年の時には優勝大会決勝の東海大学戦で立川桃に大内刈で敗れてチームも2位だった。
中村 功平(なかむら こうへい、1996年9月16日 - )… 中村 功平(なかむら こうへい、1996年9月16日 - )は、山口県出身のバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード、シューティングガード。 豊浦高校3年時には日・韓・中ジュニア交流競技会に出場したU-18日本代表に招集され、中央大学では関東学生選抜に選出されるとともに、第40回ウィリアム・ジョーンズカップに出場した日本代表メンバーにも選出される。[要出典] 2018年11月27日、中央大学在学のまま特別指定選手としてBリーグ・滋賀レイクスターズとプロ契約を締結。卒業後もそのまま滋賀に在籍し2シーズンを過ごした。 しかし、2019-20シーズンが途中で打ち切られるなど滋賀のチームの経営面に影響を及ぼしたこともあり、2020年4月25日をもって高橋耕陽と共に契約を満了することとした上で、契約更新の交渉を続けることを発表。
佐々木 隆成(ささき りゅうせい、1996年5月2日 - )… 佐々木 隆成(ささき りゅうせい、1996年5月2日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。山口県下関市出身。三遠ネオフェニックス所属。ポジションはポイントガード・シューティングガード。 山口県立豊浦高等学校から天理大学に入学。在学中の2019年2月8日、特別指定選手として大阪エヴェッサに入団。 2020年2月14日、熊本ヴォルターズとアマチュア選手契約。ポジションはPG/SG。2020-21シーズンは2試合に出場・総プレイタイム12.57分。FG成功率60.0%(3/5)、3P成功率100.0%(1/1)。 2020年5月11日、熊本ヴォルターズと選手契約。 2020-21シーズンはシーズン途中に負傷・欠場するが、53試合に出場(うちスターティング49回)・総プレイタイム1296.44分、9.1PPMを挙げた。
松山 僚佑(まつやま りょうすけ、1983年5月13日 -)… 松山 僚佑(まつやま りょうすけ、1983年5月13日 -)は日本の起業家・実業家・プロ経営者・機関投資家。山口県下関市出身。 福岡大学在学中にステージIVのリンパ芽急性リンパ腫(血液病理学上、急性リンパ性白血病)に罹患。さらに同時期にサブプライムショックも重なったこともあり、2年間の闘病・リハビリを経て社会貢献のために社会性・公共性の高い社会福祉金融機関である九州労働金庫に入庫。その後、師事していた大野尚の勧めもあり、百貨店・大型モール・豪華大型クルーズ船等を中心に化粧品・美容機器を販売する事業会社(株式会社M’s MORE)を立ち上げ、代表取締役に就任。2019年上場企業へ売却。 代表取締役退任後、民間ファンドであるNSSK(日本産業推進機構)のオファーのもと、北海道リーディングブライダル企業の創和プロジェクト株式会社へCFO・CIO兼執行役員として就任。
中川和之(なかがわ かずゆき、1982年6月6日 - )は、… 中川和之(なかがわ かずゆき、1982年6月6日 - )は、山口県下関市出身のプロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。身長181cm、体重81kg。バスケットボール選手中川直之の双子の弟である。学校法人創志学園で岡山県岡山市にあるIPU・環太平洋大学女子バスケットボール部監督を務めた[要出典]のち、長崎にてU12&U15男女クラブチーム「DIVER CATS NAGASAKI」を設立した。 山口県下関市に3人兄弟の末っ子として生まれる。小学校3年生9歳の時に長男の友人の誘いから双子の兄、中川直之と共にバスケットを始める。小学校時代は、直之と共にバスケットに明け暮れた毎日を送る。中学校は、双子の兄、直之と共に下関市立東部中学校に入学。
田村 晃一(たむら こういち、1981年8月23日 - )は… 田村 晃一(たむら こういち、1981年8月23日 - )は、日本の俳優・ファッションモデル。山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業。国家資格の理学療法士免許を持っている。
松本 大卒(まつもと だいそつ、1979年5月21日 - )… 松本 大卒(まつもと だいそつ、1979年5月21日 - )は、日本の俳優。本名:松本 大輔(まつもと だいすけ)。山口県下関市出身。血液型はA型。劇団チャリT企画所属。 実家は、生蕎麦の『大国屋』という蕎麦屋。山口県立豊浦高等学校卒業。高校時代から演劇部に所属し、1998年に上京してフリーターのまま早稲田大学演劇研究会に所属。同期には波岡一喜や及川拓郎がいる。早稲田大学演劇研究会にて結成された劇団チャリT企画の旗揚げに参加。このとき、高卒なのに大卒という芸名をつけられる。第1回公演から中心俳優として活動する。
波田 陽区(はた ようく、本名:大川 晃(おおかわ あきら)… 波田 陽区(はた ようく、本名:大川 晃(おおかわ あきら)、旧姓:波田(はだ)、1975年6月5日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。別芸名はギター侍。 山口県下関市出身。ワタナベエンターテインメント九州事業本部所属。下関市立垢田中学校、山口県立豊浦高等学校、熊本学園大学商学部経営学科卒業 。2016年4月から福岡市在住。YouTuberとしても活動している。 1998年にデビュー。事務所に入る前は「波田ベッケンバウアー」、「波田ペレ」等、著名のサッカー選手の名前を借りてライブ活動をしていた。しかし顔やネタに華やかさがなかったことから、華やかなイメージがある「ニューヨーク」から「波田(はだ)ニューヨーク」と命名。
切田 潤二(きりた じゅんじ、1973年7月16日 - )は… 切田 潤二(きりた じゅんじ、1973年7月16日 - )は、山口県出身の競艇選手。登録番号3682。身長161cm。血液型O型。73期。山口支部所属。同期に柳瀬興志、岸恵子、飯島昌弘、荒井輝年らがいる。
杉山 崇(すぎやま たかし、1970年 - )は、日本の心理… 杉山 崇(すぎやま たかし、1970年 - )は、日本の心理学研究者、臨床心理士。
東川 篤哉(ひがしがわ とくや、1968年 -)は、日本の小… 東川 篤哉(ひがしがわ とくや、1968年 -)は、日本の小説家、推理作家。広島県尾道市生まれ。山口県立豊浦高等学校、鹿児島高等学校を経て、岡山大学法学部を卒業。 2013年6月から2017年6月まで本格ミステリ作家クラブ事務局長、2017年6月からは第5代会長を務める。 大学卒業後、ガラス壜メーカーの経理部門に勤務していたが、26歳で退社。以後8年間は月収12万円 - 13万円のアルバイト(本の仕分けやコンサートスタッフなど)で生活し、「一寸先はホームレスかという生活」だった。 1996年、東 篤哉名義で投稿した「中途半端な密室」が鮎川哲也が編集を務める公募短編アンソロジー『本格推理8 悪夢の創造者たち』に採用される。
井川 弘宜(いがわ ひろのぶ、1966年(昭和41年)9月9… 井川 弘宜(いがわ ひろのぶ、1966年(昭和41年)9月9日 - )は山口朝日放送の社員。元アナウンサー兼アナウンス部長。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校、武蔵大学卒業後、1989年、山形テレビに入社。1993年、山口朝日放送開局とともに移籍、主に報道番組を担当した。2013年10月よりアナウンス職を離れていたが、2019年5月に6年ぶりに本社勤務となりアナウンサーに復帰した。2022年3月、再びアナウンス職から離れる。 第3回ANNアナウンサー賞高校野球実況部門優秀賞受賞。 アナウンス職から離れた後も、『You!どきっ』(2025年8月14日放送分)や『スーパーJチャンネル』(週末のローカル枠・2025年11月29日放送分)などに不定期で出演することがある。
織田 浩司(おりた こうじ、1962年5月17日 - )は、… 織田 浩司(おりた こうじ、1962年5月17日 - )は、日本のサクソフォーン・フルート・クラリネット・トロンボーン・ドラム奏者。 大分県豊後高田市生まれ、山口県下関市育ち(公式には出身地を下関市としている)。山口県立豊浦高等学校卒業後、1990年7月に米米CLUBのホーンセクション「BIG HORNS BEE」にオリタ・ノボッタ名義で参加。以後、スタジオ・ミュージシャンやサポートメンバーとしてB.B.キング、Char、TUBE、小柳ゆき、平井堅、米倉利紀、鈴木雅之らと共演する。 吹奏楽の愛好家としても知られ、吹奏楽雑誌などへの寄稿や、全国各地のアマチュアの吹奏楽団体(市民吹奏楽団のような一般吹奏楽団体や、中学校・高等学校の吹奏楽団体)との共演・ゲスト出演やクリニック指導も行っている。
野口 伸(のぐち のぼる、1961年7月17日 - ) は、… 野口 伸(のぐち のぼる、1961年7月17日 - ) は、日本の農業工学者。北海道大学大学院農学研究院研究院長・教授。日本学術会議連携会員、日本生物環境工学会理事長。専門は農業情報工学、農業ロボット工学。食料生産システムのロボット化やICTに関わる研究に取り組んでいる。 北海道三笠市生まれ。山口県下関市で育ち、山口県立豊浦高等学校を卒業後、「生まれ故郷で農業の勉強をしたい」と思い、北海道大学農学部に入学。1990年北海道大学大学院農学研究科農業工学専攻博士課程修了後、北海道大学農学部助手に採用される。1997年同大学大学院農学研究科助教授、2004年教授に就任する。2016年10月から2019年3月まで内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第1期「次世代農林水産業創造技術」プログラムディレクターを務めた。
安永 貴夫(やすなが たかお、1961年(昭和36年) - … 安永 貴夫(やすなが たかお、1961年(昭和36年) - )は、日本の労働運動家。日本労働組合総連合会(連合)副事務局長。山口県出身。山口県立豊浦高等学校卒業。 1980年、日本電信電話公社(のちのNTT)に入社。その後、労働運動に身を投じ、20代のころは全電通山口県支部役員として民営化に向けた組織体制の確立にあたった。1998年、NTT労働組合西日本本部執行委員。2002年にNTT中央労働組合中央執行委員に就任。NTT労働組合企画組織部長、情報産業労働組合連合会書記長などを歴任した。内閣府実践キャリア・アップ戦略専門タスクフォースメンバー、労働政策審議会臨時委員も務めた。2013年、一橋大学でゲスト講師として「連合の政策・制度の実現をめざして-雇用・労働政策、特に若年者雇用の課題を中心に」と題して労働政策を論じたことがある。
河合 わかば(かわい わかば、1960年8月6日 - )は日… 河合 わかば(かわい わかば、1960年8月6日 - )は日本のトロンボーン奏者。米米CLUB、クレイジーケンバンド、ホーンセクション・BIG HORNS BEEのトロンボーン担当。 トロンボーン以外にもサクソフォーン、チューバ、フルートなど管楽器全般を演奏するマルチリード奏者。クレイジーケンバンドではホーンアレンジも担当。 出生は福岡県小倉市(現・北九州市)、育ちは山口県下関市。 中学校の時に管弦楽部に入部し、他に誰もやりたい人がいなかったという理由でトロンボーンを始める。山口県立豊浦高等学校卒業。鹿児島大学中退。 1987年にBIG HORNS BEEに加入。以降米米CLUBのサポート及びレコーディングメンバーとして定着する。
竹本 孝弘(たけもと たかひろ、1960年 - )は、日本の… 竹本 孝弘(たけもと たかひろ、1960年 - )は、日本の海事科学者。山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校、東京商船大学乗船実習科(航海)修了。東京商船大学助手、運輸省航海訓練所教授、船長を経て、2009年から東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科教授。博士(海事科学)(ヒューマンエラーの特徴に基づく衝突海難防止に関する研究:神戸大学)。日本航海学会理事。
佐々部 清(ささべ きよし、1958年1月8日 - 2020… 佐々部 清(ささべ きよし、1958年1月8日 - 2020年3月31日)は、日本の映画監督。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校、明治大学文学部演劇科を経て横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1983年より映画およびテレビドラマの助監督となり、主に和泉聖治、降旗康男などの監督に師事した。映画現場デビューは、戸塚ヨットスクールを描いた青春ドラマ『スパルタの海』(1983年)だったが、公開前にスクール生の死亡事故が発生し、校長の戸塚宏が逮捕される事態となったため、お蔵入りとなってしまった。 2002年に『陽はまた昇る』で監督デビュー。以降、2003年『チルソクの夏』、2004年『半落ち』、2006年『カーテンコール』、2007年『夕凪の街 桜の国』、2011年『ツレがうつになりまして。
越智 繁雄(おち しげお、1958年 - )は、日本の国土交… 越智 繁雄(おち しげお、1958年 - )は、日本の国土交通技官。国土交通省関東地方整備局長や、国土地理院長などを務めた。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校、九州大学工学部土木工学科を経て、1983年九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了、建設省(現国土交通省)入省。大臣官房技術調査室技術管理官、河川局治水課事業監理室長、内閣府政策統括官(防災担当)付参事官(地震・火山・大規模水害対策担当)、大臣官房技術調査課長、水管理・国土保全局水資源部長(併)内閣官房副長官補付内閣審議官(併)内閣官房水循環政策本部事務局長を経て、2014年7月8日関東地方整備局長(併)関東地方整備局建設業法令遵守推進本部長。
和田 安生(わだ やすお、1957年12月10日 - )はか… 和田 安生(わだ やすお、1957年12月10日 - )はかつてKBC九州朝日放送(アナウンス部やスポーツ部)に所属していたフリーアナウンサー。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校を経て西南学院大学商学部経営学科に入学。大学時にアナウンス研究会に所属(在福タレントの中島浩二が所属した同大学のディスクジョッキー研究会とは別サークル)。 1980年にKBCに入社し、アナウンサーになる。同期のアナウンサーは同じ山口出身で同郷の沢田幸二・奥田智子・山本栄子(現在は退社しアメリカ・オレゴン州在住)・他局では宮崎放送に入社しテレQに移籍した川上政行。福岡ダイエーホークスの試合実況をはじめ、野球・マラソン・ゴルフ・柔道などのスポーツ中継を中心に担当。
藤村 広志(ふじむら ひろし、1956年(昭和31年)11月… 藤村 広志(ふじむら ひろし、1956年(昭和31年)11月1日 - )は、日本の実業家。清水建設副社長。 山口県出身。1979年西南学院大学経済学部を卒業。 営業総本部長 夢洲プロジェクト室長 夢洲プロジェクト室 副室長 夢洲プロジェクト室 営業担当(現任)
永見 武司(ながみ たけし、1953年5月31日 - )は、… 永見 武司(ながみ たけし、1953年5月31日 - )は、元プロ野球審判員で前パシフィック・リーグ審判部長。現日本女子プロ野球リーグ審判部長。山口県出身。 山口県立豊浦高等学校から中央大学を経て1976年パ・リーグ審判部に入局。中央大学時代は空手部に所属していた。審判員袖番号は19。 2002年、藤本典征前審判部長の後を継いで部長に就任したが、2005年に、前川芳男の9年振りという異例の部長(指導員兼任)復帰に伴い部長職を解かれ、審判部参与という肩書きになった。2006年からは、一審判員に戻っている。定年年齢以前に部長を解かれた例は他にはない。 2007年までにオールスターゲームに4回(1984年、1990年、1993年、2001年。
井上 泰山(いのうえ たいざん、1952年 - )は、日本の… 井上 泰山(いのうえ たいざん、1952年 - )は、日本の中国文学者。関西大学文学部教授、専門は中国近世白話文学(古典戯曲・小説)。主要な業績は三国志演義関連の研究。また、イベリア半島に残る中国古典典籍の調査を行っている。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業後、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。同大学大学院修士課程修了後、関西大学大学院博士課程修了。明治学院大学助手、講師、助教授を経て、1986年関西大学助教授、教授。
名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 … 名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の外交官。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業、1975年(昭和50年)東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科を卒業して、外務省に入省する。1985年(昭和60年)ブラジリア大学大学院に留学している。外務省大臣官房在外公館課現地職員管理官、シカゴ領事、参議院国際交流課長を経て、2009年(平成21年)4月ベレン総領事。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。2015年(平成27年)10月1日から東京外国語大学社会・国際貢献情報センター副センター長。
山際 澄夫(やまぎわ すみお、1950年 - )は、日本のジ… 山際 澄夫(やまぎわ すみお、1950年 - )は、日本のジャーナリスト。
池田 啓(いけだ ひろし、1950年 - 2010年4月13… 池田 啓(いけだ ひろし、1950年 - 2010年4月13日)は、日本の動物学者。日本のコウノトリの野生復帰事業を推進した。 山口県下関市出身。1968年山口県立豊浦高等学校卒業、1973年九州大学理学部生物学科卒業、1979年九州大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。文化庁文化財調査官(天然記念物担当)を経て、1999年兵庫県立大学教授、兵庫県立コウノトリの郷公園研究部長を務める。 ホンドダヌキの社会性の研究で学位を取得。その後、文化財調査官としてコウノトリの研究を始め、兵庫県立コウノトリの郷公園の責任者として2005年に始まった試験放鳥を軌道に乗せるなど、コウノトリの野生復帰事業を推進した。
苅田 知英(かりた ともひで、1948年8月17日 - )は… 苅田 知英(かりた ともひで、1948年8月17日 - )は、日本の実業家。中国電力代表取締役会長。
門屋 光昭(かどや みつあき、1946年5月13日 - 20… 門屋 光昭(かどや みつあき、1946年5月13日 - 2007年12月5日)は、日本の民俗学者。山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校、國學院大学文学研究科修士課程修了。宗教民俗学、民俗芸能史、東北文学専攻。岩手県立高校教諭(国語)、岩手県立博物館学芸員を経て、盛岡大学文学部助教授、教授、名誉教授。2001年から2005年まで文学部長。北上市鬼の館館長も務めた。2007年、膵臓癌のため死去。
小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)1… 小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)11月13日 - 2010年(平成22年)9月22日)は、日本の映画監督、脚本家。ミュージックシネマズジャパン顧問。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校から、上京して舞台芸術学院に進学、1962年(昭和37年)同校本科卒業。29歳で助監督となり、34歳の時にテレビドラマ『それ行け!カッチン』で監督デビューしている。以降、長年にわたってさまざまな映画やテレビドラマの監督、助監督を務めている。 『探偵物語』では、第19話および最終話である27話で監督を務めた。第19話の予告編のナレーションは、主演の松田優作が同郷出身ということで、本編の内容には一言も触れず小池の紹介に徹していた。
細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12… 細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる。1964年、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬』。
花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日… 花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2024年〈令和6年〉2月5日)は、アマチュアレスリング選手。日本体育大学名誉教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・フライ級金メダリスト。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校に在籍中は柔道部で活躍した。 日本体育大学進学後にレスリングに転向し、1960年から1965年まで日本選手権6連覇。東京オリンピックでも、決勝でブルガリアのケレゾフ選手を撃破し金メダルを獲得。日本レスリング陣の士気を上げる価値ある金メダルであった。後年大学界のレスリング王国と呼ばれる日体大の礎を築いた。 2019年、瑞宝中綬章受章。
梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 20… 梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 2018年12月31日)は、日本の実業家。新京成電鉄第7代代表取締役社長。 1936年9月2日、山口県下関市生まれ。1955年山口県立豊浦高等学校、1960年法政大学法学部政治学科卒業。 1961年京成電鉄入社。主に経理畑を歩み、同社取締役関連事業部長、常務取締役、専務取締役等を経て、2000年新京成電鉄代表取締役社長となり京成電鉄取締役を兼ねる。2006年新京成電鉄代表取締役会長、2008年相談役。2014年旭日中綬章受章。2018年12月31日、肺癌のため死去、82歳。叙正五位。
海原 徹(うみはら とおる、1936年3月26日 -2025… 海原 徹(うみはら とおる、1936年3月26日 -2025年2月6日 )は、日本の教育学者・歴史学者。教育学博士(京都大学・論文博士・1973年)。元京都学園大学学長、京都大学名誉教授。専門は日本教育史特に江戸時代から近代にかけての教育、吉田松陰や松下村塾などについて研究。
須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
向井 輝美(むかい てるみ、1929年9月19日 - 199… 向井 輝美(むかい てるみ、1929年9月19日 - 1990年4月20日)は、日本の遺伝学者。 山口県出身。山口県立豊浦高等学校、京都大学農学部卒業。1964年理学博士(東京都立大学 (1949-2011))「キイロショウジョウバエにおける自然集団の遺伝的構成 : 生存力を支配するポリジーンの突然変異率」。国立遺伝学研究所研究員、ノースカロライナ州立大学教授などを経て、1975年九州大学理学部教授。 ショウジョウバエ自然集団の遺伝学的構造の研究で、1966年日本遺伝学会賞、1990年日本学士院エジンバラ公賞受賞。
江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 … 江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月25日)は、日本の政治家。参議院議員(当選2回)。日本国有鉄道に入り、建設局計画課長、広島鉄道管理局長を経て、1980年以来参議院議員に2回当選する。 山口県下関市出身。江島鐡雄の長男。旧制山口県立豊浦中学校(同級生に林義郎)、海軍兵学校(76期)、山口高等学校を経て、1951年に東京大学第一工学部土木工学科を卒業した。 卒業後は日本国有鉄道に入り、東京鉄道管理局施設部工事第一課長、外務省サンフランシスコ総領事館領事、国鉄建設局計画課長、広島鉄道管理局長などを歴任。 1980年6月、第12回参議院議員通常選挙山口県選挙区に自由民主党公認で藤本万次郎を連合後援会会長に迎える万全の布陣で出馬、日本社会党新人浜西鉄雄、日本共産党新人伊藤潔を破って初当選。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
佐藤 泰正(さとう やすまさ、1917年11月26日 - 2… 佐藤 泰正(さとう やすまさ、1917年11月26日 - 2015年11月30日)は、山口県出身の日本近代文学研究者・文芸評論家。学位は、文学博士(早稲田大学)。元梅光学院大学学長。 山口県生まれ。1934年(昭和9年)に山口県立豊浦中学校4年修了、第一早稲田高等学院を経て、1940年(昭和15年)に早稲田大学文学部卒業。早稲田大学より文学博士の学位を取得。 梅光女学院大学教授、副学長、学長を歴任。磯田光一を専任教員に迎えて大学院の設置に尽力し、詩人の北川透を客員教授に迎えるなどして、西日本における日本近代文学研究の拠点を作り、学長に就任した1972年から梅光女学院大学公開講座を行い、毎年論集を刊行した。
河村 喜典(かわむら よしぶみ、1915年12月27日 - … 河村 喜典(かわむら よしぶみ、1915年12月27日 - 2010年5月25日)は、日本の経営者。三共株式会社(現第一三共)代表取締役社長・会長。 1915年12月27日山口県生まれ。豊浦中学校、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 サラリーマン社長ながら1975年から25年間の長期にわたって三共株式会社社長を務め、抗炎症剤ロキソニンや高脂血症治療剤メバロチンなどを大型製品に育てた。1997年、勲二等旭日重光章受章。2000年に代表取締役会長に就任するが、同年、取締役である息子の不祥事によって会長を退任する。2011年5月25日死去、95歳。
石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1… 石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1980年)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。ノーヒットノーランを2度達成している。 軟式野球の東京リーガル協会から阪急軍のテストを受け、重松通雄とともに入団。 打者を「幻惑」するために、以下のように多彩な変則投法を繰り出し、千葉茂に「チャップリン投法」と評された。 1937年7月16日のセネタース戦で球団初のノーヒットノーラン、16勝を挙げた1940年には2度目のノーヒットノーランを達成した。1941年に南海軍へ移籍。1943年に大和軍へ移籍。1946年にゴールドスターにプロ復帰して球団最初の開幕投手を務めたが、同年に引退した。 1946年を最後にプロ野球界から離れたが、1948年(昭和23年)の第19回都市対抗野球に、北関東代表の山藤クラブ(前橋市)の投手として出場している。
戸倉 勝城(とくら かつき、1914年11月3日 - 199… 戸倉 勝城(とくら かつき、1914年11月3日 - 1997年6月6日)は、山口県出身のプロ野球選手(外野手)・監督。 豊浦中学を経て、法政大学を卒業。卒業後は、大連満倶・林兼商店でプレーイングマネージャーを務めた。1950年に社会人野球大洋漁業から河内卓司らと引き抜かれ、この年創立された毎日に入団。 35歳という高齢でのプロ入りながら、同年3月11日のパ・リーグ開幕戦(西鉄戦)で4番を打ち、初打席で木下勇から本塁打を放って初打席初本塁打とパ・リーグ第1号本塁打を記録した。この年の7月5日の大映戦(後楽園球場)では、ナイターでの第1号本塁打を記録する。最終的には21本塁打、96打点でチームの初優勝に貢献した。
江藤 智(えとう あきら、1907年(明治40年)1月19日… 江藤 智(えとう あきら、1907年(明治40年)1月19日 - 1982年(昭和57年)6月26日)は、日本の鉄道官僚、政治家。工学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 山口県下関市貴船町で陸軍将校・江藤鋪の二男として生まれた。文関尋常小学校(現下関市立文関小学校)、豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、京都帝国大学工学部土木工学科を卒業。同年4月、鉄道省に入省した。 函館保線事務所長、大臣官房幹線調査課勤務、広島鉄道局施設部長、本省施設局停車場課長、同施設局次長、札幌鉄道局長、兼北海道営業支配人、本省施設局長、日本国有鉄道理事などを歴任。 1952年(昭和27年)7月30日、『重力操車場の設計について』により京都大学から工学博士の学位を授与された。
田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年(明治37年… 田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年(明治37年)12月15日 – 1963年(昭和38年)11月2日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 山口県豊浦郡、のちの豊田町(現下関市豊浦町)で生まれる。豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、山口高等学校を卒業。山高在学中から社会主義の研究を始め、東京帝国大学に進学してから実際の活動に加わった。1932年(昭和7年)東京帝大法学部政治学科を卒業。山口市で弁護士を開業した。 1945年(昭和20年)日本共産党に入党し、労働組合の法律顧問を務めた。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第2区から共産党公認で出馬して落選。
坂本 実(さかもと みのる、1904年7月9日 - 1970… 坂本 実(さかもと みのる、1904年7月9日 - 1970年2月6日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。
石島 房太郎(いしじま ふさたろう、1903年1月4日 - … 石島 房太郎(いしじま ふさたろう、1903年1月4日 - 1981年12月1日)は、日本の俳優。本名は同じ。 山口県下関市出身。旧制豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)を中退。 初めは工芸の仕事をしていたが、舞台俳優を目指して1924年に松竹に入り、後に前進座に移る。1935年に『街の入墨者』で映画デビューする。 1937年、石島と同じく前進座に所属していた原ひさ子と結婚した。 1944年に夫婦揃って東宝の専属となり、後に東映などに所属、『ひめゆりの塔』(1953年)や『警視庁物語シリーズ』などの映画に出演した。またテレビドラマにも多く出演した。
岡沢 秀虎(おかざわ ひでとら、1902年5月13日 - 1… 岡沢 秀虎(おかざわ ひでとら、1902年5月13日 - 1973年3月8日)は、ロシア文学者、評論家。 1902年、山口県生まれ。豊浦中学を卒業して、早稲田大学露文科に進んだ。在学中は早大童話会に所属。1940年、早稲田大学教授に就任。 太平洋戦争後の1946年、復活した露文科の再建にあたる。早稲田大学露文科に米川正夫を迎え、後進の育成に尽くした。研究者としてはスターリン体制の欠陥を指摘していた。
中島 正信(なかしま しょうしん、1902年(明治35年)2… 中島 正信(なかしま しょうしん、1902年(明治35年)2月12日 - 1973年(昭和48年)7月25日)は、早稲田大学名誉教授、早稲田精神昻揚会会長、早稲田船上大学研究会会長、早稲田大学新聞会会長。専攻は商業英語、国際経済論、世界経済論。 1902年2月12日、山口県豊浦郡神玉村に生まれる。 山口県立豊浦中学校、早稲田大学第一高等学院文科を経て、1923年4月に早稲田大学商学部に入学する。1926年3月に卒業後、東京材木輸入協会に入り、貿易実務に従事する。 1930年4月から早稲田大学商学部助手となり、同年7月からアメリカ合衆国のコロンビア大学へ留学する。 1937年4月から早稲田大学専門部商科教授、1941年4月早稲田大学商学部教授となる。
町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 19… 町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 1971年2月6日)は、日本の産婦人科学者、鹿児島大学長。 山口県下関市豊田町大河内百合野出身。三豊小学校、旧制豊浦中学校、山口高等学校を経て九州帝国大学医学部卒業。1934年九州大学医学博士。論文の題は「子宮筋腫に対する硬レ線作用の臨床的並に組織化学的研究」 九州帝国大学助教授、鹿児島県立病院産婦人科部長を経て、1943年鹿児島医専教授。県立鹿児島医科大学創立と同大の国立移管につくした。1951年-55年県立鹿児島医科大学学長・医学部長。1968年-1969年鹿児島大学長。正心女子短期大学学長も務めた。
田岡 良一(たおか りょういち、1898年3月28日 - 1… 田岡 良一(たおか りょういち、1898年3月28日 - 1985年5月29日)は、日本の法学者。位階は正三位。専門は国際法。学位は、法学博士(京都帝国大学・1940年)(学位論文「空襲と国際法」)。京都大学名誉教授。高知県生まれ。 田岡嶺雲(思想家)は父。田岡俊次(ジャーナリスト)は三男。田岡久雄(国際ロータリー広報担当コーディネーター)は長男。
藤井 五一郎(ふじい ごいちろう、1892年(明治25年)1… 藤井 五一郎(ふじい ごいちろう、1892年(明治25年)11月1日 - 1969年(昭和44年)10月29日)は、日本の弁護士、裁判官。公安調査庁初代長官。 山口県下関市出身。藤井啓一の長男。豊浦中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 東京地方裁判所判事となり、裁判長として河上肇の治安維持法違反事件では実刑を、血盟団事件では温情判決を、帝人事件では全員無罪を言い渡した。その後大審院判事。戦後は弁護士を経て、1952年、公安調査庁の初代長官となる(~1962年)。1969年10月29日死去、76歳。