戸倉 英太郎(とくら えいたろう、1882年〈明治15年〉2月7日 - 1966年〈昭和41年〉7月29日)は、昭和時代の神奈川県の郷土史家。福岡県出身。 1882年(明治15年)2月7日、現在の福岡県福岡市博多区に士族の長男として生まれる。娘の戸倉英美によれば「いわゆる貧乏士族」であり、少年時代には、筑豊の炭鉱主・伊藤伝右衛門のもとで丁稚奉公をしたという。1900年(明治33年)3月に赤間関商業学校(現在の下関商業高等学校)を卒業した。 1903年(明治36年)4月に宇和島商業学校(現在の愛媛県立宇和島東高等学校)教諭となる。1905年(明治38年)に釜山に渡り、釜山第一公立尋常小学校の訓導となる。
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