東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名中島 勇(なかじま いさむ)、芸名を東 勇治、東 勇二とクレジットされた時期もあった。小笠原明峰率いる小笠原プロダクション創立時のスター俳優であり、日活に移籍後は、現代劇のバイプレイヤーとして知られた。 1902年(明治35年)3月15日、福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)に生まれる。 旧制・福岡県立八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)を卒業し、旧制・西南学院高等学部(現在の西南学院大学)に進学するが、中途退学し、1923年(大正12年)の小笠原プロダクションの設立に参加した。学歴については、『世界のキネマスター』(報知新聞社)には、明治大学を卒業した旨の記述がみられる。
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