スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋本 大地(はしもと だいち、1972年10月13日 - )… 橋本 大地(はしもと だいち、1972年10月13日 - )は、福岡県出身のプロゴルファーである。 福岡県立八女高等学校卒業。富士OGMエクセレントクラブ 伊勢大鷲コース(伊勢大鷲ゴルフ場)所属。2000年にツアーデビュー。レッスンプロとしての活動が知られ、2008年、横峯さくらのコーチ契約を結ぶ。現在、地方テレビ局で冠番組『チーム大地のゴルフON&ON! 〜橋本大地のフェード最強論〜』(制作はとちぎテレビ)を持つ。
池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は… 池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は、日本の政治家、元競輪選手、福岡県八女郡広川町の町議会議員(3期)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第63期生。現役時は日本競輪選手会福岡支部所属。ホームバンクは久留米競輪場。師匠は香月英二。 福岡県立八女高等学校在学中は陸上競技を行ない、熊本大学と長崎大学をいずれも現役合格している。しかし、後に某テレビ番組で紹介されたが、高校時代より競輪選手を志望していた本人にとってみれば、大学入試は「滑り止め」としか考えていなかったようで、1988年に競輪学校の適性試験に合格し入学する。同期には出口眞浩らがおり、在校成績5勝の42位で卒業後、1989年4月14日、豊橋競輪場でデビューし、初勝利も同日。
堺田 輝也(さかいだ てるや、1966年〈昭和41年〉7月1… 堺田 輝也(さかいだ てるや、1966年〈昭和41年〉7月18日 - )は、日本の農林水産技官。 農林水産技術会議事務局研究総務官、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構理事、出雲市副市長などを歴任。 福岡県八女郡立花町(現・八女市)出身。堺田の幼少期、実家では温州みかんを栽培しており、周囲の友人らもみかん農家が多かったことから、子どもの頃はみかん山でよく遊んだ。福岡県立八女高等学校を経て、1989年(平成元年)3月、九州大学農学部を卒業。大学生時代にみかんの生産や国の政策について知る機会があり、それが故郷の状況と背景が当てはまったことから、同年4月、農林水産省に入省(Ⅰ種・園芸化学)。
平田 悟(ひらた さとる、1965年4月23日 - )は元オ… 平田 悟(ひらた さとる、1965年4月23日 - )は元オウム真理教幹部。福岡県出身。同姓の平田信とは縁戚関係はない。 福岡県立八女高等学校卒業後、OA機器メーカーを1年で退職し、オウム神仙の会に入信。1987年8月にオウム真理教徒として出家。教団内ではコンピュータ技術を専門としていた。 1993年からオウム真理教モスクワ支部と上九一色村を往復しており、ロシアでの活動を望んでいたが1994年6月からは麻原の指示で諜報省に配属され国内での非合法活動に関与する。乗り気では無かったが、1994年7月に西早稲田の施設で毒ガス騒ぎがあり、井上嘉浩から「教団が毒ガス攻撃を受けている」と洗脳された(逮捕後、実は新実智光による自作自演テロであったことを知る)。
江崎 浩(えさき ひろし、1963年1月18日 - )は、日… 江崎 浩(えさき ひろし、1963年1月18日 - )は、日本の情報工学者。東京大学大学院情報理工学系研究科教授。デジタル庁Chief Architect。WIDEプロジェクト代表。日本ネットワークインフォメーションセンター理事長。北海道顧問。 本籍は福岡県筑後市大字長崎。1975年筑後市立二川小学校卒業。1978年筑後市立筑後中学校卒業。1981年福岡県立八女高等学校卒業。1985年九州大学工学部電子工学科卒業。1987年九州大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了。 東芝入社、総合研究所通信機器研究所入所。1990年ベルコア客員研究員。1994年コロンビア大学電気通信研究所客員研究員。1997年東芝コンピュータネットワークプロダクト事業部に異動。
黒木 瞳(くろき ひとみ、1960年(昭和35年)10月5日… 黒木 瞳(くろき ひとみ、1960年(昭和35年)10月5日 - )は、日本の女優、元宝塚歌劇団月組トップ娘役。所属事務所は2011年10月11日よりポエムカンパニーリミテッド。 福岡県八女市(旧・八女郡黒木町)出身。出身地・黒木町(くろぎまち)に因み同郷の五木寛之(八女市出身で同じ中学の先輩でもある)が「黒木瞳」と命名。 1960年(昭和35年)に4人きょうだいの末子(兄1人と姉2人がいる)として生まれる。地元で畜産業をする父と食堂を営む母は躾に厳しかったが、幼い頃から手間が掛らずにのびのびと育つ。剣道7段の父親の影響もあり、小学4年生から地元の道場で剣道を習った。幼い頃からピアノを習うなど音楽好きで、読書家であった。
藏内 勇夫(くらうち いさお、1953年〈昭和28年〉12月… 藏内 勇夫(くらうち いさお、1953年〈昭和28年〉12月7日 - )は、日本の獣医師、政治家。自由民主党所属の福岡県議会議員(10期)、全国都道府県議会議長会会長(第75代)、自由民主党福岡県支部連合会常任相談役、日本獣医師会会長(第12代)、福岡県獣医師会名誉会長。 自由民主党福岡県支部連合会会長、アジア獣医師会連合(FAVA)会長、中央畜産会常務理事、福岡県畜産協会会長、日本空手協会福岡県本部顧問、福岡県馬術連盟会長、筑後市体育協会会長などを歴任。獣医師の立場から「ワンヘルス」の推進などに取り組み、県連会長を務めたほか、内閣総理大臣などを務めた麻生太郎とも関係が近いことから「福岡県議会のドン」と称されている。
田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレン… 田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレント、ケーナ奏者。本名は田中 研一()。所属事務所はオスカープロモーション。 福岡県筑後市生まれ。高校時代は、バンドを友人と組みベースギターを担当する。その後は、R&Bを博多のダンスホールで演奏していた。学校にばれて退学の可能性があったが、教員の助けで卒業。卒業後は博多のナイトクラブで3年ほど演奏していたという。その後、東京の事務所からスカウトされ上京、1972年に日本コロムビアから「あおい健」として歌手デビューする。キャッチフレーズは「さわやかなフィーリング・爆発するエネルギー」であった。その後、1年ほどで所属していた事務所が倒産。映画監督の斎藤耕一の妻が立ち上げたプロダクションに所属し、以降は田中健の名で俳優に転じる。
玉木 康裕(たまき やすひろ、1950年1月4日 -)は、日… 玉木 康裕(たまき やすひろ、1950年1月4日 -)は、日本の実業家。タマホーム株式会社創業者で、代表取締役会長・兼社長・兼CEOを経て、代表取締役会長。筑後商工会議所会頭。 福岡県筑後市出身。家は老舗の建設業者で、裕福だった。母方も地主でお手伝いさんを何人も雇うほどだった。父は東京府東京市浅草区育ち。 1973年福岡大学商学部卒業後、筑後興産入社。1998年タマホーム設立、代表取締役社長。2007年筑後商工会議所会頭。2011年タマホーム代表取締役会長兼社長。2014年タマホーム代表取締役会長兼社長兼CEO。2015年タマホーム代表取締役会長兼社長兼CEO。2018年タマホーム代表取締役会長。
矢野 晃(やの あきら、1945年8月4日 - )は、福岡県… 矢野 晃(やの あきら、1945年8月4日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。右投右打。 1963年にテスト生で八女高校から中日ドラゴンズに入団も4年間で1試合しか登板できず、1967年に近鉄バファローズに移籍。 しかしここでも移籍1年目こそ4試合登板したが、その後は一軍で登板することなく、1970年限りで引退した。 プロでは0勝に終わったが、惜しかったのは1967年8月12日の対東映戦で、先発し5点のリードをもらいながら、3点を返されて5回途中で降板、その後牧野伸から川内八洲男とリレーされ、川内が勝利投手となったが、これが川内にとってもプロ初勝利であった。この勝利をきっかけに川内はプロ通算12勝をマークしたが、矢野は未勝利に終わった。
服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8… 服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8日 ‐ )は、日本の政治家。東京都台東区長(3期)。元東京都議会議員(5期)、元台東区議会議員(5期)。父親は福岡県八女市長を務めた服部寅雄。 東京市杉並区荻窪で五人兄弟の末っ子として生まれる。生後、母親の出身地であり、疎開先の埼玉県羽生市で疎開する。戦後、荻窪に戻り、杉並区立桃井第二小学校に入学し、卒業。卒業後に、父親の出身地である、福岡県八女市に転居し、高校卒業まで当市で育った。八女市立岡山中学校、福岡県立八女高等学校、日本大学法学部管理行政学科卒業。日大在学中に、鵜沢義行(政治学)のゼミで副総長をつとめる。 大学卒業後はブリヂストンタイヤ東京販売に勤務。
才所 俊郎(さいしょ としろう、1942年4月7日 - )は… 才所 俊郎(さいしょ としろう、1942年4月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 八女高校では1年生の時、1958年夏の甲子園に控え外野手として出場。3回戦で板東英二投手のいた徳島商に敗退。2年、3年の夏はいずれも県大会準決勝で延長戦の末に敗退。卒業後は日鉄二瀬へ進み、都市対抗野球大会に出場すると河合楽器へ移籍。俊足好打の外野手として知られ、1964年から2年連続で都市対抗野球に出場。 1965年ドラフト会議で読売ジャイアンツより5位指名で入団。1年目の1966年から一軍に上がり、9月には右翼手として先発出場を果たす。1968年にはイースタン・リーグで盗塁王になる。しかし層の厚い外野陣の中であまり活躍の場はなく、代走等の起用が多かった。
重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 -… 重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 - )は、日本の政治家。元・自由民主党参議院議員(竹下派、1期)。 福岡県出身。1952年福岡県立八女高等学校、1956年九州大学経済学部卒業。1960年防衛施設庁に入る。1981年臨時行政改革推進審議会事務局総務課長。1984年参事官に就任した。1986年中部管区行政監察局長。1987年審議官。1988年行政情報システム参事官を経て、1989年官房審議官。1990年12月に退官。1991年の福岡県知事選に出馬したが落選。同年9月の参院補選に自民党公認で立候補して当選。1992年に落選。1995年の福岡県知事選に再び立候補したが落選。同年の参議院選挙で無所属から立候補したが落選した。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日… 水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日 - 2022年1月3日)は、日本の美術史家、民藝運動家、武蔵野美術大学名誉教授・元学長。 大阪府出身。高校時代から詩を書き、詩誌「櫂」同人。柳宗悦に師事し、旧制福岡高等学校を経て東京大学文学部卒業、1955年(昭和30年)同大学院美術史学科修士課程修了。舞台・放送作家でもあった。 日本民藝館館員を経て、1963年(昭和38年)武蔵野美術大学助教授、1970年(昭和40年)に教授、1986年(昭和61年)学長、1994年(平成6年)退任し名誉教授。2003年(平成15年)5月に日本民藝協会会長(2011年6月まで)。講師として晩年まで、毎年各地で行われた日本民藝協会の全国大会・講座、また柳宗悦をめぐる講演・シンポジウムに多く参加していた。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 20… 松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、日本の詩人、文学・美術関係の評論家、作家。 福岡県大木町出身。福岡県立八女高等学校卒。詩人の丸山豊と出会い、詩誌「母音」に参加した。中学教師を経て、1957年に上京して文筆活動に入る。1955年に詩集を刊行し、農民や切支丹、落人などの敗者や弱者への共感を叙情的に歌い上げる作風で知られる。このほか、児童文学、美術関係の評論、いわさきちひろの画集編纂、五木寛之との対談、小説など多岐にわたる著述を残した。子守歌の研究でも知られた。1970年『日本農民詩史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。 2008年3月3日午前0時7分、心不全のため東京都練馬区の病院で死去。
川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 200… 川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、日本の詩人、放送作家。東京都出身。 茨木のり子と「櫂」を創刊。明るい存在感溢れる詩風で、戦後詩に新鮮な叙情詩の世界を開いた。作品に詩集『はくちょう』(1955年)、『食物小屋』(1980年)、放送詩劇『魚と走る時』(1956年)など。 名前の洋は、『詩経』の「河川洋々」から取って、母方の祖父が名付けた。1944年福岡県八女郡に疎開。福岡県立八女中学校(現:福岡県立八女高等学校)卒業、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。上京後は横須賀の米軍キャンプなどに勤務した。 1948年頃より詩作を始め、1953年5月茨木のり子と詩誌「櫂」を創刊。
椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 202… 椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 2022年1月27日)は、日本の詩人・作家。 福岡県生まれ。父均の小学校教師勤務の都合、矢部村、日出小へ転校後、1942年県立八女中学へ。そのあと福岡第一師範学校本科卒業、小学校教師として勤務、この間、福岡教育センター歌はじめ、福岡県下幼稚園、小、中、高校あわせて15校の校歌も作詞。詩、童話、小説などの創作活動も行う。矢部村教育長時代、“ふるさと創生”の一部を基に「世界子ども愛樹祭コンクール」を創始、回を重ね、のち特別相談役。福岡県詩人会会員。「九州文学」同人。
中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 … 中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 - 2002年4月9日)は、日本の小説家・推理作家。本名は中園 英樹(なかぞの えいき)。 福岡県遠賀郡上津役村(現北九州市八幡西区)出身。旧制福岡県立八女中学校(現福岡県立八女高等学校)卒業。在学中、西洋史を教わった渡辺啓助の影響で『新青年』を愛読するようになる。卒業後は満州を経て北京へ遊学し、同仁会語学校などに学ぶ。 1940年、北京大学の文学院を聴講しながら東亜新報の学芸記者となる。かたわら同人誌『燕京文学』に加わり、創作活動を開始。1942年、「第一回公演」で北支那文化賞を受賞。 1946年、引き揚げ帰国し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストとなる。
小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008… 小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記。作家・小島英記は長男。 旧制福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。河和海軍航空隊に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、名古屋監督官事務所監査官付として終戦を迎えた。 戦後、私立八女津女子高等学校(現在の八女学院高等学校)や、母校でもある八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)で社会科の教師として教鞭を取り、詩人の松永伍一を教えたこともある。
稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月1… 稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月19日 - 1989年11月6日)は、日本の政治家、農民運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(13期)。 福岡県八女郡岡山村(現八女市)出身。代用教員を経て1925年に早稲田大学政経学部を卒業。卒業後は農民運動に身を投じた。平野力三率いる全日本農民組合同盟に加わり、日本農民党を経て社会民衆党に参加。その後赤松克麿・小池四郎らと日本国家社会党に参加するがこれも脱退して皇道会から東方会に移籍、1935年に浮羽郡から福岡県議に当選し2期。 1946年日本社会党から衆議院議員になったが、公職追放を受け同年6月22日に辞職。追放解除後の1953年に右派社会党から返り咲き(福岡3区)、再統一を経て1960年の民主社会党に参加。
東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳… 東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名中島 勇(なかじま いさむ)、芸名を東 勇治、東 勇二とクレジットされた時期もあった。小笠原明峰率いる小笠原プロダクション創立時のスター俳優であり、日活に移籍後は、現代劇のバイプレイヤーとして知られた。 1902年(明治35年)3月15日、福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)に生まれる。 旧制・福岡県立八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)を卒業し、旧制・西南学院高等学部(現在の西南学院大学)に進学するが、中途退学し、1923年(大正12年)の小笠原プロダクションの設立に参加した。学歴については、『世界のキネマスター』(報知新聞社)には、明治大学を卒業した旨の記述がみられる。
田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1… 田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1日 - 1984年〈昭和59年〉1月28日)は、洋画家。福岡県八女郡北山村(現・八女市立花町)生まれ。本名・田﨑 廣次。 1917年、福岡県師範学校(現福岡教育大学)第二部卒業、坂本繁二郎、安井曾太郎に師事。関西美術院にも通った。 二科展出品後の1932年渡仏、留学中の1933年サロン・ドートンヌ賞受賞。1935年、帰国。 1939年、一水会の創立に参加。 戦後、広稜会を結成、また東郷青児らと日伯現代美術展(伯剌西爾、ブラジルのこと)を開催。 1949年より日展審査員、(以後1958年日展評議員、1967年理事、1978年顧問を勤める。
矢野 酉雄(やの とりお、1897年(明治30年)10月6日… 矢野 酉雄(やの とりお、1897年(明治30年)10月6日 - 1963年(昭和38年)11月20日)は、大正から昭和期の教育者、雑誌編集者、政治家。参議院議員(1期)。号・孤山。 福岡県三池郡上内村大字上内(銀水村を経て現大牟田市大字上内)で矢野巽の息子として生まれる。福岡県立八女中学校を経て、1917年(大正6年)福岡師範学校を卒業。その後、中央大学法科、日本大学高等師範科で学び、同年、福岡県三池郡内各尋常小学校訓導を務めた。その後、文部省教員検定試験に合格し中等教員免状を取得。以後、沖縄県女子師範学校教諭兼訓導兼同県立高等女学校教諭、鹿児島県第二師範学校教諭兼訓導、福岡県立嘉穂中学校教諭、同県実業補習学校指導員などを務めた。
小川 聡志(おがわ さとし)は、日本のプロレスラー。ラジオ番… 小川 聡志(おがわ さとし)は、日本のプロレスラー。ラジオ番組パーソナリティー。パーソナルトレーニングジム経営者。 福岡県立八女高校在学時にテレビで見たダイナマイト・キッドに憧れる。 福岡大学を卒業後、福岡の広告代理店に勤務してマーケティング部に配属される。 学生時代から空手を習っており、筋力を強化するために通っていたウエイトトレーニングジムでアステカと出会う。 1997年4月、アステカと共にプロレスリング華☆激を設立と同時に代表に就任。広報、企画、営業などフロント業務全般を担当。6月8日、山川勤労者体育センターで華☆激の旗揚げ戦を開催。同年、仕事の事情で一旦、プロレスから離れる。 2004年10月、プロレスラーになるため、華☆激に入門。