久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 2022年7月17日)は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(捕手)・監督。 鳥栖工業高校卒業後の1953年に西鉄ライオンズへ入団し、2年目の1954年に初出場。リーグ優勝した1956年には自己最多の59試合出場で4本塁打を放ち、巨人との日本シリーズでは7戦中2戦に3番手としてマスクを被る。三原脩監督のポスト日比野強化の構想により、和田博実・田辺義三と正捕手の座を競い合ったが、結局は同年がキャリアハイとなった。1960年には阪急ブレーブスへ移籍するが、1年で退団。 退団後は阪急のチームメイトであった藤木孝二と共に電気化学工業へ入社し、引退後は監督に就任。
出典:ウィキペディア「久保山誠」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
