スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日… 杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日本の陸上競技選手。福岡県吉井町出身。明治大学文学部史学地理学科卒業。三菱重工マラソン部所属。 うきは市立吉井中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校、明治大学出身。 1、2年時は三大駅伝の出場はなかった。 3年時の第99回箱根駅伝で7区を走り、三大駅伝デビューを飾る。創価大学の葛西潤と同タイムで区間賞を獲得し、順位を12位から10位に引き上げた。しかし、明治大学はその後再び順位を落とし、3年連続でシード権を逃した。 4年時の第100回箱根駅伝では3区を走ったが、22位から順位を上げることはできず。明治大学はその後順位を落とし、往路は最下位でのフィニッシュとなった。
古賀 貴大(こが たかひろ、1999年3月11日 - )は、… 古賀 貴大(こが たかひろ、1999年3月11日 - )は、佐賀県鳥栖市出身のプロサッカー選手。シンガポールプレミアリーグ・アルビレックス新潟シンガポール所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 鳥栖工業高校を経て、九州総合スポーツカレッジへ進学。2018年はレギュラーGKとして、大分県社会人リーグ1部優勝、九州リーグ昇格に貢献した。 2019年より、V・ファーレン長崎へ加入した。2020年12月21日、契約満了による退団が発表された。 2021年、アルビレックス新潟シンガポールへ加入した。FAS Awards Night 2021において、ゴールデングローブ賞、ベストイレブンを獲得した。 2023年、SC相模原に完全移籍。
古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の… 古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業。安川電機所属。 福岡県出身。趣味は野球観戦、音楽・映画鑑賞。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、大学を経ずに安川電機に入社する。実業団駅伝では、入社1年目からチームの主力選手として活躍。2019年元日のニューイヤー駅伝では、7区で区間賞を獲得している。また、都道府県対抗男子駅伝には、佐賀県代表のふるさと選手として出場を続けており、2020年大会では3区終盤を先頭で独走し、チームの8年ぶり入賞に貢献した。個人種目では、2020年の全日本実業団ハーフマラソンにて、1時間00分49秒という日本歴代7位(当時)の好タイムで日本人トップの2位でゴールし、第24回世界ハーフマラソン選手権大会日本代表に内定した。
坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は… 坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は、佐賀県佐賀市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。上武大学ビジネス情報学部卒業。実業団では小森コーポレーション、ひらまつ病院を経て現在は愛知製鋼陸上競技部に所属。 佐賀市立大和中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校を経て上武大学に進む。鳥栖工業高では全国高校駅伝や都道府県対抗駅伝に佐賀県代表として出場、上武大駅伝部では入学時の監督であった花田勝彦及び3年次より監督に就任した近藤重勝の指導を受け、1年次から全日本大学駅伝や箱根駅伝のメンバーに起用される。1年次の第91回箱根駅伝では3区を走り区間16位、2年次の第92回箱根駅伝では10区を走り区間20位、3年次・4年次はともに1区を走り3年次は区間10位、4年次は区間8位の成績を残す。
小西 祐也(こにし ゆうや、1990年8月22日 - )は福… 小西 祐也(こにし ゆうや、1990年8月22日 - )は福岡県小郡市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。鳥栖工業高等学校卒業後、トヨタ自動車九州を経て黒崎播磨所属。2011年アジア陸上競技選手権大会における1500メートル競走日本代表。 2009年、トヨタ自動車九州に入社。当時のトヨタ自動車九州は北京オリンピック男子マラソンで金メダリストとなったサムエル・ワンジルの退部等もあり弱体化しており、小西の入社直前の2009年元日のニューイヤー駅伝は九州予選の段階から出場を辞退していた。そのような状況下で小西は初年度から駅伝メンバーとして活躍。トヨタ自動車九州は小西の入社年度の2010年ニューイヤー駅伝でニューイヤー駅伝の舞台に返り咲くと、その後2011年から2014年までの4年連続で総合8位内入賞を果たす。
天野 健志(あまの たけし、1986年(昭和61年)12月1… 天野 健志(あまの たけし、1986年(昭和61年)12月13日 - )は、日本の起業家、投資家。Will合同会社の代表。 1986年、佐賀県に生まれる。 2005年、佐賀県立鳥栖工業高等学校を卒業。卒業と同時に佐賀県の企業に就職。その後、光通信の営業職として働く。しかし、思うようにお金を稼ぐことは出来ず金銭的に苦しい日々を過ごす。この現状があるのは全て自身の行動や習慣が原因だと自覚し自分自身を変えるためそれまでの習慣を全て見直す。自分の理想を明確化、早寝早起きの徹底、毎日の読書をするなど生活を一変させた。企業に属していても自分の理想の人生を叶えることはできないことに気付き会社を辞める。 2014年、証券会社に派遣社員として入社。
堤 喬也(つつみ たかや、1982年6月22日 - )は、佐… 堤 喬也(つつみ たかや、1982年6月22日 - )は、佐賀県出身のサッカー選手である。ポジションはGK。 2008年からは、なでしこリーグに所属する岡山湯郷Belleで、2013年からはAC長野パルセイロ・レディースでGKコーチを務めている。
飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐… 飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の男子陸上競技選手(長距離種目)。身長165cm、体重58kg。 背中を丸め、肩をいからせたように走るフォームが特徴の陸上競技(長距離)選手。その力強く独特な走りから、ベストタイムや実績にも勝る人気を得ている。 故郷の鳥栖市神辺町は相撲が盛んな地域でもあり、小学生時代にわんぱく相撲全国大会への出場経験がある。また鳥栖市立田代中学校時代も、陸上部所属でありながら全国中学相撲選手権大会団体戦の出場経験を持つ。 鳥栖工業高等学校に進学後、国体3000m障害で2位に入賞するなど頭角を現す。 帝京大学に進学後、箱根駅伝にも4年間出場し、1年時の第76回箱根駅伝では5区山上りで区間6位(1時間13分37秒)とまずまずの走りを見せてチームも往路3位、総合4位となった。
オラキオ(1977年9月5日 - )は、日本の芸人、俳優、声… オラキオ(1977年9月5日 - )は、日本の芸人、俳優、声優。佐賀県鳥栖市出身。本名は松雪 崇(まつゆき たかし)。2013年までは松雪 オラキオ(まつゆき おらきお)を芸名としていた。 体操選手であった経験を活かした「体操選手のモノマネ」のネタで知られる。 佐賀県鳥栖市出身。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業。中学入学を機に体操教室に通いはじめ、高校時代には3年連続でインターハイ・国体に出場経験のある元体操選手で、お笑いコンビ「弾丸ジャッキー」(2003年 - 2016年)時代は実在の体操選手のモノマネをネタとして披露していた。芸名のオラキオは『時の継承者 ファンタシースターIII』に登場する勇者の名前に由来する。
三浦 恭資(みうら きょうし、1961年1月9日 - )は、… 三浦 恭資(みうら きょうし、1961年1月9日 - )は、日本の自転車プロロードレーサー。佐賀県鳥栖市出身。日本では「キング」と呼ばれる。マウンテンバイク(クロスカントリー)でも活躍し、オリンピックに出場した。日本代表チームの監督も務めていた。 中学時代にツール・ド・フランスのテレビ放送をきっかけに自転車に目覚め、鳥栖工業高2年でインターハイに出場。卒業後、多くの実業団で活躍し、フランス、オランダ、アメリカなどでも活動。 1987年スイスのティーグラー、翌1988年エリートチームのマビックティチノビッタと契約。同年、ソウル五輪に出場。1990年のツール・ド・おきなわと1991年の宇都宮国際ロードレース(現・ジャパンカップサイクルロードレース)で優勝。
佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 -… 佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1960年代後半から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーで、1968年メキシコシティーオリンピックに男子マラソン日本代表として出場した。佐賀県鳥栖市出身。 佐々木とマラソンの出会いは佐賀県の鳥栖市立田代中学校時代。「1年か2年の時(本人談)」に校内マラソン大会で10位に入り、市内の中学駅伝大会の代表選手になったことがきっかけだった。当時同校には陸上部がなく、バレー部顧問の教諭の指導を受けた。 高校は佐賀県立鳥栖工業高等学校に進学。陸上部に入り、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)、国体で上位入賞する他、2年・3年時に全国高等学校駅伝競走大会に出場。
城野 勝博(じょうの かつひろ、1944年8月17日- )は… 城野 勝博(じょうの かつひろ、1944年8月17日- )は、佐賀県出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは投手。 鳥栖工業高校では、1年生の時、エースとして1960年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、西九州大会決勝に進出するが、鹿島高の宮崎昭二投手に完封を喫する。1962年夏にも西九州大会準決勝まで進むが、大崎高に敗退し、甲子園出場はならなかった。卒業後、1963年に広島カープへ入団。 重い速球と切れの良いシュートを主な武器とし、1年目から一軍で投げた。だが、好投しても打線の援護に恵まれない不運に多く見舞われた事もあって、本来の力を出し切れなかった。1967年に一軍初勝利、10月には大洋ホエールズを相手に初完封を記録するが、その後は低迷。
緒方 克陽(おがた かつよう、1938年2月5日 - )は、… 緒方 克陽(おがた かつよう、1938年2月5日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(3期)。 佐賀県鳥栖市出身。鳥栖工業高校卒業後、国鉄に入社。国鉄労働組合に参加し、佐賀県評議長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙で八木昇の後継者として佐賀県全県区から日本社会党公認で立候補し、初当選。同党の県本部などで構成する「玄海原発設置反対佐賀県民会議」の議長を務めていた事から、佐賀県電力総連との政策協定作りなどが難航した。 1995年には村山改造内閣で運輸政務次官に就任。1996年の総選挙で佐賀県第1区から社会民主党公認で立候補するが落選。2000年の衆議院総選挙でも同区から立候補し、前回を約3,000票上回る30,018票を得たが再び落選した。
原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 -… 原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身のアマチュア野球監督・社会人野球選手。東海大学硬式野球部名誉総監督。 長男は元プロ野球選手・監督の原辰徳。孫(長女の長男)はプロ野球選手の菅野智之。 佐賀県立鳥栖工業高校卒業、立命館大学中退。社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。1965年に無名校を初出場にして夏の甲子園大会の優勝へと導き、三池工フィーバーを起こした。 その後、三池工での戦いぶりと原の生き様に感銘を受けた東海大学の創設者:総長松前重義の招きで1966年12月9日に大牟田を発ち、翌10日に神奈川県着。
久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 20… 久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 2022年7月17日)は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(捕手)・監督。 鳥栖工業高校卒業後の1953年に西鉄ライオンズへ入団し、2年目の1954年に初出場。リーグ優勝した1956年には自己最多の59試合出場で4本塁打を放ち、巨人との日本シリーズでは7戦中2戦に3番手としてマスクを被る。三原脩監督のポスト日比野強化の構想により、和田博実・田辺義三と正捕手の座を競い合ったが、結局は同年がキャリアハイとなった。1960年には阪急ブレーブスへ移籍するが、1年で退団。 退団後は阪急のチームメイトであった藤木孝二と共に電気化学工業へ入社し、引退後は監督に就任。
久保山 和夫(くぼやま かずお、1933年10月20日 - … 久保山 和夫(くぼやま かずお、1933年10月20日 - )は、佐賀県出身のプロ野球審判員。 佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、立命館大学に入学。大学卒業後にパ・リーグ審判部に入局し、3000試合出場を達成するなど長らく活躍、1995年まで現役をつとめた。審判員袖番号は8(1977年初採用から1995年引退まで、8は1997年以降栁田昌夫がつけている)。日本シリーズ3回、オールスター6回出場しており、1970年代から1980年代を代表する名審判であった。 通算試合出場数は3190試合。 プロ野球を離れてからは少年野球の審判指導などで活躍。京都府K-Ball少年野球連盟の理事(審判部長)も務めた。