白仁 秋津(しらに あきつ、1876年 - 1948年)は、日本の歌人。本名、勝衛。 三池郡岩本村(現大牟田市岩本)に士族の長男として生まれる。 熊本県立済々黌高等学校を卒業。1902年(明治35年)、北原白秋、田中紫江、杉森秋華ら6人と同人誌 『常盤木』を刊行する。『常盤木』には短歌だけでなく、社会矛盾との戦いの重圧といった苦しみを表した文章も掲載されている。 翌1903年(明治36年)に与謝野鉄幹が主宰する東京新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻に師事し、北原白秋、吉井勇、石川啄木、高村光太郎らと共に明星派に名を連ねる。 1904年(明治37年)3月に北原白秋が白秋の父に無断で県立伝習館中学(現・福岡県立伝習館高等学校)を退学して上京する際に、秋津とは密かに別れの挨拶を行っているが、その際に秋津から白秋に蒲原有明の詩集『独絃哀歌』を贈っている。
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