新屋 晃(しんや あきら、1955年2月1日 - )は、鹿児島県出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。 鹿児島県の照国高校(現在の鹿児島城西高校)では、1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、鹿児島商工に敗退。同年のドラフト会議で日拓ホームフライヤーズに6位指名され入団。1977年には一軍に定着し、二塁手として12試合に先発出場。7月には一番打者としても起用される。しかし1978年には出場機会が減少し、同年限りで引退。 1979年にパシフィック・リーグ審判部に入局した。審判員同期に、セントラル・リーグ元審判員の鷲谷亘がいる。審判員袖番号は29(1979年採用~2004年退職まで。※29は1977年初採用から1978年引退まで吉田正男がつけていた番号だったが現在は空番。
出典:ウィキペディア「新屋晃」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
