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山本 尚子(やまもと なおこ、1960年10月14日 - )… 山本 尚子(やまもと なおこ、1960年10月14日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(岡山大学・1991年)。国際医療福祉大学副学長、同大 大学院医学研究科 国際保健・感染症学分野 教授(分野責任者)、同大国際医療協力センター長(併任)。専門は国際保健学など。 厚生労働省大臣官房総括審議官や、WHO(世界保健機関)事務局長補などを歴任。WHO事務局長補時には新型コロナウイルス感染症対策に尽力した。 岡山県岡山市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1985年札幌医科大学医学部卒業、横浜市衛生局医官。環境庁大気保全局自動車公害課を経て、1991年岡山大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。
高橋 伸夫(たかはし のぶお、1957年7月16日 - )は… 高橋 伸夫(たかはし のぶお、1957年7月16日 - )は、日本の経営学者。東京大学名誉教授。元組織学会会長。北海道小樽市出身。
秋野 豊(あきの ゆたか、1950年7月1日 - 1998年… 秋野 豊(あきの ゆたか、1950年7月1日 - 1998年7月20日)は、日本の政治学者。筑波大学社会科学系助教授を経て、国際連合タジキスタン監視団政務官在職中殉職。専門は、ロシア外交・中央アジア政治。法学博士(1983年)。中村研一門下。社会学者の杉山明子は従姉。実業家の堀義人は従甥。 北海道小樽市生まれ。北海道小樽潮陵高等学校を経て同志社大学入学、早稲田大学政治経済学部卒業後、北海道大学法学部に学士入学。北海道大学大学院法学研究科で、第二次世界大戦中の英ソ関係を研究し、1983年、法学博士の学位を取得した。「独ソ開戦と英対ソ政策 : 「偽りの同盟」から「大同盟(Grand Alliance)」への道 」。
前野 一夫(まえの かずお、1949年12月16日-) は、… 前野 一夫(まえの かずお、1949年12月16日-) は、日本の機械工学者。千葉大学名誉教授。東京経営短期大学DXヒューマン・ソサエティ研究所長・特別教授。元木更津工業高等専門学校校長。元日本工学院専門学校校長。元全国高等専門学校連合会会長。 北海道小樽市入舟町生まれ。小樽市立奥沢小学校、小樽市立向陽中学校を経て、1968年北海道小樽潮陵高等学校卒業。山内進(元一橋大学学長)は小学校時代からの遊び仲間で、高校の同級生には他に山本眞樹夫(元小樽商科大学学長)や品川守(元国土交通省北海道局長)などがいた。北海道大学医学部や東京医科歯科大学医学部に不合格となり、桑園で大学受験浪人生活を送ったが、1969年は東大紛争で東大入試が中止となった影響で玉突き現象が生じ、志望校を落としたが再度不合格となる。
山本 眞樹夫(やまもと まきお、1949年10月4日 - )… 山本 眞樹夫(やまもと まきお、1949年10月4日 - )は、日本の商学者・会計学者。経済学博士(東北大学)。元小樽商科大学学長。北海道小樽市出身。 北海道小樽潮陵高等学校時代は、品川守(元国土交通省北海道局長)らとグループサウンズでギターを弾いていた。山内進(元一橋大学学長)、前野一夫(千葉大学名誉教授)なども高校の同級生。1972年小樽商科大学商学部卒業。1974年同大学院商学研究科修士課程修了。1978年東北大学大学院経済学研究科博士課程修了。その後、福島県立会津短期大学講師、小樽商科大学商学部講師、同商学部助教授、1991年同商学部教授、同副学長及び理事を経て、2008年第9代小樽商科大学学長に就任。
山内 進(やまうち すすむ、1949年10月1日 - )は、… 山内 進(やまうち すすむ、1949年10月1日 - )は、日本の法学者。専門は法制史。一橋大学名誉教授。第16代一橋大学学長、ロンドン大学客員教授、中国人民大学客座教授、法文化学会理事長を歴任。サントリー学芸賞受賞。 1949年、北海道小樽市で生まれた。小樽市立奥沢小学校、小樽市立向陽中学校を経て、北海道小樽潮陵高等学校に入学。同校では、山本眞樹夫(元小樽商科大学学長)や品川守(元国土交通省北海道局長)が同級生であった。 一橋大学法学部に進学し、勝田有恒の指導を受けた。また、大学1年時の第二外国語のロシア語のクラスでは、河村たかし(名古屋市長)や増田悦佐(エコノミスト)と同級生であった。1972年に卒業し、一橋大学大学院法学研究科に進学。
品川 守(しながわ まもる、1949年 - )は、日本の国土… 品川 守(しながわ まもる、1949年 - )は、日本の国土交通技官、工学博士、技術士。国土交通省北海道局長として、総合開発計画の策定、行政改革、北海道開発局談合事件への対応にあたるなどした。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校時代は山本真樹夫らとグループサウンズのギターを弾いていた。北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻修了後、1976年北海道開発庁入庁。1985年北海道開発局帯広開発建設部治水課長、1988年同局石狩川開発建設部計画課長、1993年同局建設部河川計画課河川企画官など河川行政を長年担当し、北海道開発局河川計画課長や、国土交通省北海道局水政課長を経て、2004年国土交通省北海道開発局石狩川開発建設部長。
大谷 まこと(おおたに まこと、1948年 - 2008年1… 大谷 まこと(おおたに まこと、1948年 - 2008年10月31日)は、日本の社会福祉学者。福山平成大学福祉健康学部福祉学科教授。博士(社会福祉学)(東洋大学、2003年)。
宮澤節生(みやざわ せつお、1947年5月5日 - )は、日… 宮澤節生(みやざわ せつお、1947年5月5日 - )は、日本の法学者。カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロー・スクール教授。神戸大学名誉教授。学位は、法学博士(北海道大学・1987年)、Ph.D.(社会学博士)(イェール大学・1985年)。アジア法社会学会会長、アジア犯罪学会会長などを歴任。アメリカ犯罪学会国際犯罪学部門最優秀図書賞、アメリカ法社会学会国際学術賞受賞。日本での法科大学院制度の採用を強く唱えていた発起人ともなる人物。「宮沢節夫」とは別人。新潟県出身。 法社会学・組織社会学・現代弁護士論・法曹論・刑事学など多岐に渡るが、特に犯罪社会学が専門。なお、日本のロースクール制度には肯定的立場をとる。
宮腰 昭男(みやこし あきお、1945年 - )は、日本の工… 宮腰 昭男(みやこし あきお、1945年 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。札幌大学元学長・札幌大学女子短期大学部元学長。小樽市生まれ。 北海道小樽潮陵高等学校、北海道大学工学部卒、同大学院工学研究科博士課程修了、札幌大学経済学部助教授、同経営学部教授、経営学部長、情報メディアセンター長、入試部長などを歴任後、2003年4月札幌大学・同女子短期大学部学長に就任。2011年学長退任。札幌大学退職。北海道ハイテクノロジー専門学校客員講師(2015年まで)。現在、札幌大学名誉教授。 公職に北海道医師会医政検討委員会委員、札幌市医師会医療情報システム顧問ほか。 最適炉などの高効率廃棄物発電技術開発に関する研究のほか、近年は地域医療計画および地域医療実態や老人医療費、病院経営などの調査研究なども幅広く研究対象としている。
横川 義雄(よこかわ よしお、1910年10月~1995年6… 横川 義雄(よこかわ よしお、1910年10月~1995年6月12日)は、日本の経営学者・教育者・地方公務員だった人物。札幌大学名誉教授。北海道函館市出身 1928年北海道庁立小樽中学校卒業。1931年小樽高等商業学校卒業。北海道庁立小樽商業学校(現北海道小樽商業高等学校)教諭。1940年北海道函館商業学校(現北海道函館商業高等学校)教諭。1953年函館短期大学商科助教授(経営管理論・教職担当)。1958年北海道教育委員会指導主事。1959年札幌短期大学商業科客員助教授(経営管理論担当、~1968年)。1963年北海道札幌東商業高等学校校長。1968年北海道旭川商業高等学校校長。1970年北海道立の高等学校の教員として定年退職。
北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 19… 北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 1993年3月13日)は、日本の統計数学者、情報科学者。 推測統計学、品質管理で顕著な業績を上げた。また、「情報学」、「情報科学」を提唱し、『制御』『栄存』『創造』の三座標軸を提案した。 大阪帝国大学助教授、九州大学教授、同理学部長、富士通国際情報社会科学研究所所長、日本学術会議会員、日本情報処理学会会長を歴任。理学博士。 北海道小樽市出身。1934年東京帝国大学理学部数学科卒。大阪帝国大学講師を経て、1939年九州帝国大学助教授。1943年九州帝国大学教授。1963年附属図書館長、1965年基礎情報科学研究施設長。1968年理学部長、1973年退官。
岩村 忍(いわむら しのぶ、1905年9月26日 - 198… 岩村 忍(いわむら しのぶ、1905年9月26日 - 1988年6月1日)は、日本の東洋史学者。専攻は内陸ユーラシア史・東西交渉史。戦後日本におけるシルクロード学の開拓者として知られる。 1905年、北海道小樽市で生まれた。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)卒業後渡米し、オタワ大学社会学部で学んだ。1929年に卒業。 1931年、新聞連合社(のち同盟通信社を経て、現:共同通信社)に就職。一方でトロント大学大学院経済史専攻に進み、1932年に修了。満州事変後のリットン調査団に随行して中国各地を回り、国際連盟のジュネーヴ本部などに勤務した。戦時期には東方社の理事に就任したほか、1942年から1945年にかけて文部省民族研究所研究員として在外研究にあたった。