スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
本前 郁也(もとまえ ふみや、1997年10月2日 - )は… 本前 郁也(もとまえ ふみや、1997年10月2日 - )は、北海道札幌市東区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 札幌市立札苗小学校3年から東ハリケーンで野球を始め、札苗中時代は札幌白石シニアでプレー。 札幌光星高等学校では3年夏の南北海道大会でエースを務めるも、1回戦で駒大苫小牧に3対10で敗れた。齊藤誠人は小中高の2学年上の先輩にあたる。 北翔大学への進学後は1年春からベンチ入りし、札幌6大学リーグでは2年春~3年秋に3季連続で最優秀投手に輝いた。しかし、全国大会である全日本選手権や明治神宮大会への出場は叶わず、2019年9月2日の日本製鉄室蘭シャークスとのオープン戦では打球が頭部に直撃し、入院。
齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、… 齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。妻は女優の楠木杏。 札幌市立札苗中時代に所属していた札幌北シニアでは、選手が10人しかいない中で補欠であった。 札幌光星高時代は、3年次夏の南北海道予選で8強に進出したのが最高成績。 高校卒業後は、体育教師を目指すために北海道教育大学岩見沢校に進学する。当初は野球を続けるつもりはなかったが、練習を見学した際の部員たちからの強引な勧誘によって札幌学生野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部しプレーを継続することとなる。指導者がいない中、選手たちで意見を出し合い練習メニューを決め、3年次からは齊藤が事実上の采配をふるっていた。
青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2… 青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2015年12月10日)は、北海道札幌市出身 のプロ野球選手(投手)。 札幌光星高から社会人野球の札幌鉄道管理局に入団。社会人時代は、1955年にノンプロ全国大会で優勝。 1956年に大映スターズに入団。1958年にチームが大毎オリオンズへ吸収合併となり、同年は大毎でプレーし、シーズン終了後に退団。 1960年から1962年まで、社会人野球の東洋高圧砂川でプレーした。 引退後は岩手県北上市の会社に勤務していた。2015年12月10日、北上市で死去。82歳没。
目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 199… 目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 1995年3月28日)は、北海道江別市出身 の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1955年の登録名は目時 富士雄(めどき ふじお)。 札幌光星商業を卒業後、配炭公団野球部に入部。また、小樽野球協会にも所属していた。 1949年に大陽ロビンスへ入団。荒川昇治が正捕手でいた為レギュラーを獲得できずにいたが1952年に荒川が移籍したこともあって、この年に正捕手となった。1953年に大洋ホエールズと合併したが、この年もレギュラーとして出場し120試合に出場。打率.273、12本塁打を打ち、打点56は藤井秀郎に次ぐチーム2番目の成績だった。1956年からは土井淳の加入で控え捕手となった。