スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浅利 昌哉(あさり まさや、1995年11月12日 - )は… 浅利 昌哉(あさり まさや、1995年11月12日 - )は、北海道伊達市出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長170cm。血液型はB型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は体落、背負投、寝技(とりわけ腕挫十字固)。 柔道は5歳の時に伊達柔道スポーツ少年団で始めた。東海大四中等部3年の時には全国中学校柔道大会60kg級で2位になった。東海大四高へ進むと、1年の時には全日本カデで2位だった。2年の時にはインターハイで2位になると、全国高校選手権では優勝を飾った。3年のインターハイでは3位にとどまった。 2014年には東海大学へ進学すると、階級を66kg級に上げた。1年の時には全日本ジュニアで5位だったものの、2年の時には優勝を果たした。
小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海… 小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海道出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長164cm。2022年現在は帯広緑陽高校の教員を務める。 東海大第四高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別の60kg級で2位となった。4年の時には講道館杯で優勝すると、選抜体重別でも3位になった。正力杯で優勝すると、神戸で開催されたユニバーシアードでは個人戦で2位にとどまったものの、団体戦で優勝を飾った。 1986年には東海大学の大学院へ進むと、講道館杯で3位だったものの選抜体重別で優勝を果たした。1986年ソウルアジア大会では決勝でロサンゼルスオリンピック銀メダリストである地元韓国の金載燁に背負投で敗れて2位に終わった。
須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、… 須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、北海道古平町出身の日本の柔道家。 中学生の時に柔道を始めて、東海大四高に入学後は個人戦や団体戦で全国優勝を果たし東海大学に進学。怪我に悩まされたこともあったが克服して、数々の大会で活躍する。新日本製鐵に入社した年に初の世界選手権代表となり、それまで日本選手がメダルを取ったことのなかった95キロ級で、オリンピックチャンピオンである地元の河亨柱を決勝において見事な体落で破るなど、オール一本勝ちで優勝を果たす。 翌年のアジア大会では2位に終わったものの、1987年の世界選手権では2回戦でブラジルのアウレリオ・ミゲルに苦戦した以外は順当勝ちして2連覇を果たした。
滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2… 滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2022年6月14日)は北海道出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重143kg。 東海大第四高校3年の時には金鷲旗で、後に95kg級で世界選手権2連覇を達成することになる1年後輩の須貝等とともに活躍して、初優勝をもたらした。さらに、インターハイの重量級でも優勝を飾った。新人体重別では3位だった。1980年には東海大学に進学すると、優勝大会では3度も優勝を果たした。3年の時には優秀選手にも選ばれた。講道館杯でも優勝を果たした。4年の時には講道館杯で2連覇を達成したが、無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で天理大学3年の正木嘉美に敗れて2位だった。