スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
萌江(もえ、1994年7月3日 - )は、宮城県を拠点に活動… 萌江(もえ、1994年7月3日 - )は、宮城県を拠点に活動しているシンガーソングライター、ほやドル。 母方の祖父の家は、石巻市の県内有数のホヤの産地にあり、祖父の家に遊びにいった際には新鮮なホヤを食べさせてもらっていた。その祖父の家は東日本大震災の津波で流され、祖父も被災し亡くなる。。 コブクロに憧れて、中学1年のときにギターを始める。歌手になりたいとは思うようになったが、歌が上手い友人と比べると自信が持てず、周囲や家族にも言えずに過ごす。宮城県石巻商業高等学校に進学したときに再会した中学時代の恩師に打ち明けたところ、「萌江ならできる」と後押ししてくれたことで自信を持つ。高校1年のときに東日本大震災に遭い、祖父を亡くし、避難所生活では音楽に励まされたことから、路上ライブを行ったりCDの自主製作を行ったり、音楽に向き合うようになった。
山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は… 山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は、宮城県東松島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 石巻商業高校を経て、国士舘大学に入学。大学卒業後は東芝(現:北海道コンサドーレ札幌)に入団した。その後、ブランメル仙台およびベガルタ仙台に所属し、2000年に現役を引退した。 2001年より仙台の育成部コーチ、2005年から2006年まで仙台ユース監督を務め、2005年にはチーム史上初のJユースサハラカップ決勝トーナメント進出を果たし、2006年にはチームをJユースサハラカップベスト8へ導いた。2007年はスクールマスター兼ホームタウン担当、2008年は仙台ユース監督に復帰し、チームを史上初の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権に出場させた。
渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 … 渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 - )は、日本の政治家、行政書士。宮城県東松島市長(3期)。元・宮城県議会議員(6期)。 宮城県桃生郡矢本町赤井(現・東松島市)出身。生家は農家。1966年(昭和41年)3月、宮城県石巻商業高等学校卒業。なお高校時代は軟式野球部主将として全国大会に出場している。矢本町役場に入庁し、学校給食センター所長、議会事務局長などを務めた。 1995年(平成7年)1月、退職。同年4月の宮城県議会議員選挙に立候補し初当選した。県議時代は自由民主党に所属した。 2017年(平成29年)2月27日、次期東松島市長選挙への出馬を表明。同年4月23日に行われた市長選挙に自民党・民進党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市議の木村清一、元市議の五野井敏夫らを破り初当選した。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010… 阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010年9月8日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会会長や、中央大学理事長を歴任した。阿部法律事務所主宰。1996年より宗教団体オウム真理教の破産管財人。 1926年宮城県生まれ。宮城県石巻商業高等学校出身、中央大学法学部卒業。 司法修習第六期を経て1954年4月に弁護士登録、東京弁護士会入会。 1960年代には社会問題化した売血制度の廃止を働きかけ、弁護士会人権擁護委員会の建議書を通じ売血制度の廃止を実現。 1970年以降、東京弁護士会副会長、日本弁護士連合会事務総長、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、日本弁護士連合会会長を歴任。 1996年3月、宗教団体オウム真理教の破産宣告を受けて破産管財人に就任。
小杉 勇(こすぎ いさむ、本名・小杉 助治郎、1904年2月… 小杉 勇(こすぎ いさむ、本名・小杉 助治郎、1904年2月24日 - 1983年4月8日)は、日本の映画俳優、映画監督。作曲家の小杉太一郎は息子。息子の妻は漫談家の山野一郎の娘。 宮城県石巻市に生まれる。石巻商業学校を卒業後、上京し、「日本橋白木屋百貨店」に就職する。しかし、1923年、日本映画俳優学校設立と同時に入学する。同期に八木保太郎、吉村廉、島耕二などがいる。 1925年、日活京都撮影所に入社する。当時の日活は看板スターであった鈴木傳明や岡田時彦などが去り、新しいスターを必要としていた。また、左翼思想の台頭などもあり、たくましさも兼ね備えた小杉が新しい時代を象徴する存在として注目された。